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「日本プロゴルフ殿堂」新たに陳清水ら6人を発表

「日本プロゴルフ殿堂」の第五回顕彰者決定の発表が8日に都内で行われ、陳清水(ちん・せいすい)、河野高明(こうの・たかあき)、清元登子(きよもと・たかこ)、島田幸作(しまだ・こうさく)、村上隆(むらかみ・たかし)、ト阿玉(と・あぎょく)の6人が選出された。顕彰式は3月24日にジャパンゴルフフェア会場(パシフィコ横浜)にて行われる。

陳、河野、清元はツアー制度施行前の1972年以前に活躍した『レジェンド部門』、島田、村上、トは73年以降に活躍した『プレーヤー部門』での選出。殿堂入り顕彰者は、12年の第一回から合わせて27人となった。

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6人のプロフィール、及び選考理由は以下の通り。

■陳清水(ちん・せいすい) 1910年1月25日生まれ 台湾出身

※1994年1月8日に死去

台湾プロゴルファーの草分け。淡水GCでキャディを経てプロとなる。程ヶ谷CC(神奈川県)で修業するために来日し、浅見緑蔵の下で7カ月ほど学んだ。その後、再来日して日本に定住。トッププロへと成長する。1937年に「日本オープン」優勝、「日本プロ」は2度(1942、53年)制覇するなどの実績を残したほか、陳清波ら来日した台湾出身の後進の育成にも尽力した。1973年、日本に帰化。

【主な戦績】
日本プロ2勝、日本オープン1勝、関東プロ3勝

■河野高明(こうの・たかあき) 1940年1月4日生まれ 神奈川県出身

※2010年4月22日に死去

中学校を卒業後、父親が勤務していた程ヶ谷CCに入り、19歳でプロになった。67年に「関東オープン」と「日本シリーズ」、翌68年に「日本オープン」と「日本シリーズ」を制した。海外での活躍も目覚ましく、69年に初出場した「マスターズ」では当時のアジア最高位となる13位に食い込んだ。翌70年の「マスターズ」では12位となり、自らの記録を更新。「ワールドカップ」の日本代表には68年から5年連続で選出され、69年に団体2位、72年は団体、個人ともに2位の好成績を収めた。70年には5勝を挙げ、史上初めての“1000万円プレーヤー”となる。

【主な戦績】
国内16勝、海外4勝

【代表歴】
ワールドカップ(68~72年)

■清元登子(きよもと・たかこ) 1939年6月15日生まれ 77歳 熊本県出身

クラブを握ったのは24歳のとき。約2年後の65年、初出場の「日本女子アマ」で3位に入る。同大会では計3勝を挙げた。プロ競技でもたびたび上位に入り、73年「トヨトミレディス」で女子ツアー史上初となるアマチュア優勝を成し遂げた。翌74年にプロ入り。76年から3年間は米国でもプレーした。プロとしては優勝7回。83年に第一線から退いたのち、日本女子プロゴルフ協会の理事長、会長を歴任し、ティーチング資格制度の基盤を立ち上げた。指導者としても成果を挙げ、不動裕理大山志保古閑美保を賞金女王に導いた。

【主な戦績】
国内8勝(うちアマ1勝)

■島田幸作(しまだ・こうさく) 1944年5月7日生まれ 兵庫県出身

※2008年11月3日に死去

64年にプロテスト合格。68年「日本プロ」で同期の青木功らとの優勝争いを制し、24歳で初優勝を飾る。その後、公式戦タイトルを次々と手にし、76年には「日本オープン」を制して、当時のグランドスラムを達成した。89年には日本プロゴルフ協会理事に選ばれ、97年にはレギュラーツアーを管轄するPGAツアー・オブ・ジャパンのエグゼクティブディレクターに就任。99年に設立された日本ゴルフツアー機構(JGTO)の初代会長を務めた。

【主な戦績】
国内12勝

【代表歴】
ワールドカップ(1975、77年)

■村上隆(むらかみ・たかし) 1944年5月25日生まれ 72歳 静岡県出身

中学卒業後、川奈ホテルGCに入社し、キャディをしながらプロを目指す。その後、東京よみうりCCに移り、63年にプロテスト合格。75年「日本マッチプレー」で初めての日本タイトルを挙げると、同年の9月「日本オープン」、10月「日本プロ」、11月「日本シリーズ」を制して、同一年日本タイトル4冠を成し遂げる快進撃。初の賞金王を戴冠した。77年の「ハワイアンオープン」では、米国ツアーの当時日本選手最高成績となる2位に食い込んだ。

【主な戦績】
国内21勝、海外1勝

【代表歴】
ワールドカップ(1972、75、76年)

■ト阿玉(と・あぎょく) 1954年9月29日生まれ 62歳 台湾出身

アマチュア時代から日本女子ツアーに出場しており、清元登子がアマチュア優勝を飾った73年「トヨトミレディス」では2位に入った。74年にプロとなり、日本女子ツアーに参戦すると、同年の「東海クラシック」で初勝利を挙げた。81年に準会員として日本女子プロゴルフ協会に入会。歴代2位となる計7回の賞金女王に輝き、中でも82年から86年は5年連続の戴冠で無類の強さを発揮した。入会前を含めた日本国内の勝利数「69」は、樋口久子と並ぶ最多記録タイ。現在、男女を通じて外国人選手唯一の永久シード保持者である。

【主な戦績】
国内69勝、賞金女王7回(1982~86、89、91年)

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