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イタリアオープン、その顔ぶれの変遷

これまでヨーロピアンツアーを彩ったイタリア人ゴルファーの栄光の歴史の礎は、1976年にバルドヴィーノ・ダッスが驚くべき23日間の快進撃の中、ダンロップ・マスターズで初優勝を飾り、その後、半ば神懸かり的にイタリアオープンを制した際に築かれたといえる。

今週、第70回イタリアオープンが、トリノ市北部に位置するトリノGCで開催される。ダッスの存在は、その2勝が彼のキャリアにどれだけの影響を及ぼしたか、そこから彼の母国でプロゴルフ人気が高まっていったかを回想させる。

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1976年といえば、その夏に登場したセベ・バレステロが一番良く思い出されるが、ダッスはその秋、10月2日にウェールズのチェップストーで非常に名誉あるダンロップ・マスターズで優勝を飾った。そして、サルディニアでも優勝を達成。まだ髪が黒々としていた24歳のダッスは嵐のように突然ヨーロピアンツアーに現れ、1950年と1954年にウーゴ・グラッパッソーニが達成して以来のイタリア人による地元トーナメント勝利を10月24日にモラスGCで果たし、観衆を夢中にさせた。

ダッスは、デビューシーズンのスイスオープンでスコア「60」を叩き出し、そこから大きなヒントを得た。現在では、イタリアでのゴルフツーリズムを主導していく為、無数のプロジェクト立ち上げに時間を取られてしまっているが、それでも試合を楽しんでいる。

ダッスは当時を振り返り、「プロとして5年目に勝利を挙げられたことについては非常に満足しています。最初の勝利で一番よく覚えている事といえば、カップから3フィートのところから2パットで決めれば優勝というところで、プレーイングパートナーだったヒューバート・グリーン(翌年USオープンを制す)が、始めのパットを打つ前に握手をしてきたんです。それでちょっと調子を崩して1パット目を外し、2パット目で入れたんです。非常に大きな一瞬でした。もちろんそれがイタリアオープンでの勝利だったので更に大きな瞬間に感じました」と述べた。

「これら2つのトーナメントで勝利できたことは非常に誇りに思っていますし、ヨーロピアンツアー初イタリア人優勝選手になったことも勿論誇りです。以後、多くはないにせよ、ヨーロピアンツアーでえイタリア人選手が継続して成功を収められていることに喜びを感じます。イタリアのコーチングの質は高いんですよ。教える人間も施設も揃っているだけに、もう少し若い人たちがゴルフに打ち込んでくれればと思います」。

フィレンツェ生まれのダッスは昨年11月に60歳の誕生日を祝った。彼はもうトーナメント優勝といった高みには手が届かないが、それでもヨーロッパ代表として5度ヘネシーコニャックカップへ参加し、イタリアを代表しワールドカップに出場(4回)したほか、ダンヒルカップにも参加したばかりか、ヨーロピアンツアーのでも傑出した大会委員となった。

1976年に彼が成し遂げたことは、いうまでもなくイタリアでのゴルフ人気を上昇させ、4年後にはマッシモ・マネッリがローマ・アクアサンタでのイタリアオープンで地元勝利を挙げた。マネッリは1974年にイタリア・アマチュア選手権で優勝している。

1980年4月、24歳のマネッリはヨーロピアンツアーのレコードブックに名前を載せた。彼はジョーン・ブランド、ケン・ブラウン、サー・ニック・ファルドそしてジョーン・オリーリーに5打差をつけて非常に輝かしい勝利を挙げた。その頃、偶然にもマネッリはダッスからパットのレッスンを受けており、前のシーズンで1ラウンド平均37.38パットしていたパットの修正に取り組んでいた。

今日、マネッリはアクアサンタにて統括プロフェッショナルとして、イタリアゴルフ連盟(FIG)と共に育成プログラムの発展に務めている。彼は、「ヨーロピアンツアーで大きな勝利を挙げられた事は本当に素晴らしい事ですが、少し早すぎたとも思っています。なぜならその後のプレッシャーが非常に大きかったからです。サム・トーランスも言っていましたがあの試合を2位で終えていたら、その後の為に良かったのではないか、ということもあります。しかしあの勝利はイタリアにとって非常に大きな影響をもたらしましたし、この国でのゴルフを世界に伝える事ができたので、良かったのだと思います」と述べた。

「今日、大会はどんどん大きくなり、人気も上昇しています。選手達はもちろん、FIG代表取締役のフランコ・キメンティに感謝をしています。そしてもちろん、アドミニストレーターとコメンテーターを務めてくれた故マリオ・カミシアにも感謝しています」。

2011年12月に70歳で死去したカミシアは、イタリアで「ミスターゴルフ」とされている。長年にわたり、彼はイタリアオープンのトーナメントディレクターを務め、さらに20年以上もスカイ・イタリアのコメンテーターとしてフェアウェイ脇から解説をし、この大会の発展に尽力した。

ヨーロピアンツアーの最高責任者であるジョージ・オグレイディーは、「マリオは、かつての、そして現在のイタリアゴルフ界の素晴らしさの象徴と言える。彼は熱烈なサポーターであり、精力的なアドミニストレーターそして大会ディレクターであり、長年にわたり素晴らしく情熱的なテレビコメンテーターとして、イタリアに於ける全てのレベルのゴルファーのみならず、ヨーロピアンツアー全体の発展に尽力した人物である」と語った。

カミシアの実況は、実のところフォークロアの域に達しており、特にセント・アンドリュースで開催された1995年の全英オープンで、コスタンティノ・ロッカがイタリアの視聴者をテレビの前に釘付けした折のものが懐かしい。1993年にヨーロピアンツアーで2勝を挙げ、イタリア人として初めてライダーカップに出場したことでも知られるロッカは、ゴルフの聖地で開かれた1995年の全英の最終ホールで、残り60フィートを沈める起死回生のパットを披露し、その際のカミシアの躍動的な実況も相俟って、劇的な一幕を作り出しジョン・デイリーに並ぶと、その後のプレーオフで敗れたのである。

15歳の頃、ポリエスチレン箱の工場で働いていたロッカは、夜にベルガモのゴルフ場に明かりと2番アイアン一本を持って忍び込むことによって彼のお伽噺にも似たゴルフ人生をスタートさせると、前述の全英と同年の1995年に出場したライダーカップでは、アメリカの地での欧州チームの勝利に貢献したばかりか、同大会史上3人目となるホールインワンを達成したのである。その後、彼は1997年に“セベのチーム”の一員として、シングルでタイガー・ウッズを4&2で下すなど、バルデラマ・ゴルフクラブにて再度欧州チームの勝利に貢献している。また、1996年には複数回メジャーを制したサー・ニック・ファルドを退け、ウェントワース・クラブでのBMW PGA選手権を制している。

勿論ダッスとマネッリは、イタリアオープンやヨーロピアンツアーの顔ぶれが変わってきていることにも十分気を払っており、それは何も賞金総額やゴルフコースの違いといった明白な理由にのみよるものではないことも承知している。しかし、実際のところ、イタリアオープンの賞金は、1976年にダッスが手にした優勝賞金4,082ポンド、そして1980年にマネッリが手にした賞金総額32,200ポンドの内の優勝賞金5,365ポンドと比較すると、今週の賞金総額1,500,000ユーロや優勝賞金250,000ユーロといった具合に増額されており、トリノ・ゴルフクラブの全長もマネッリの時代の6,545ヤードから7,208ヤードまで延伸されている。

ダッスやマネッリが勝利していた当時、イタリアの人々は、食事やスポーツカーの運転を楽しむように、単純に人生に於ける最高の楽しみの一つとしてゴルフを観戦していた。ロッカの功績や、彼に対する世界中の賞賛は、イタリアでのプロゴルフを更なる地平へ押し上げ敷衍するとともに、ロッカが1981年の12月にイタリア連盟のティーチング・スクールに参加しながらプロに転向した当時には考えられない速度と容易さでの変貌を促した。そして、ゴルフに対する人々の興味は、マッシモ・スカルパ(2000年)、エマヌエレ・カノニカ(2005)らがヨーロピアンツアーの舞台で優勝し、その後、エドゥアルドとフランチェスコのモリナリ兄弟、そしてマッテオ・マナッセロらの登場により加速度的な早さで高まったのである。

ロッカがくだんのパットを決めた1995年当時、イタリアには191のゴルフコースがあり、打ちっぱなしの練習場は20を数えるほどで、5,800万人の人口のうち、ゴルフの競技人口は4万人を僅かに超える程度で、ジュニアの選手は4,100人ほどだった。それが今では、イタリアゴルフ連盟の統計によると、ゴルフコースは278に増え、打ちっぱなしの練習場は175を数え、ゴルファーの数は10万人に達し、中でも意義深いことには18歳以下の登録選手は11,337となり、プロのコーチは550人となった。

PGAのヨーロッパ役員であり、ガルダ湖畔のサン・ヴィジリオにあるシェルヴォ・ゴルフ・ホテル・スパ&リゾートのオン・ラーニング・ゴルフ・アカデミー(O.L.G.A.)のプロフェッショナルでもあるルカ・サルヴェッティは、「コーチの質はとても高く、それは、他の国と比較すると割合的に決して多くはないジュニアの選手の中から、ツアーでプレーする国際的な選手たちを多く育成しているという事実を裏付ける上で、とても重要なのです。今日のフランチェスコ、エドゥアルド、そしてマッテオの並外れた活躍により刺激され、今後も競技人口が増えることにより、こうした実績も飛躍的に伸びると確信しています」と語った。

現在スカイ・イタリアで実況を務める傍ら、O.L.G.A.のプロフェッショナルでもあるニコラ・ポンポーニは、「イタリアでのテレビ視聴者は増加しており、ゴルフはこれまでにない数の世帯で視聴されています。イタリアの視聴者の間で最も人気があるのは、2012年に120万の人々が視聴したライダーカップであるのは言うまでもありませんが、この人気は今年の全英オープンにも反映されており、昨年と比較すると同大会をテレビ観戦した人は47 %も増加しました」と述べた。

エドゥアルドとフランチェスコ・モリナリは、ヨーロピアンツアーでの優勝やライダーカップでの勝利に加え、2009年に中国のミッションヒルズで開催されたワールドカップにてイタリアを初優勝に導いている。今週開催されるイタリアオープン第70回大会では、エドゥアルドは怪我のため欠場が決定しているが、フランチェスコは地元という地の利を活かし、優勝を狙っている。

一方、5月にBMW PGA選手権を20歳と37日で優勝し、同大会の最年少優勝記録を更新したマナッセロは、ダッス、マネッリ、そして2006年にカステッロ・ディ・トルキナスコで勝利したフランチェスコ・モリナリに続く、イタリアオープンがヨーロピアンツアーに加わって以来4人目の地元大会制覇、そして自身5度目のヨーロピアンツアー優勝を実現しようと目論んでいる。

来年4月に21歳の誕生日を迎えるマナッセロは、1972年にヨーロピアンツアーが開始した21年後に生まれている。今週のイタリアオープンは、ヨーロピアンツアーを52回、チャレンジツアーを79回、シニアの大会を8回、そしてワールドカップを2回開催しているイタリアでの141回目のツアー大会となり、大会初日から観戦するダッスとマネッリは、トリノにやってくるヨーロピアンツアーで、同胞の後輩によりイタリア人ゴルファーが同ツアー20回目の優勝を果たすのを期することになる。

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2013年 イタリアオープン



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