地元メディアの注目の的、ジャスティン・ローズ
ジャスティン・ローズ「初優勝」までの道程
1998年「全英オープン」で17歳のアマチュア、ジャスティン・ローズが4位タイという快挙を成し遂げゴルフ界の度肝を抜いた。そのローズが、21歳にして、出身地でもある南アフリカのヨハネスブルクで、ついに欧州PGAツアーでの初優勝を成し遂げた。
ジャスティン・ローズ「あれば劇的な最後だった。最終ホールのアプローチがそのままカップイン。あのショットの前後はもう記憶も薄れてきているけど、ショットは鮮明に覚えているよ。」
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その「全英オープン」の最終ショットを最後に翌日からプロに転向したジャスティン・ローズ。しかしその4日後「オランダ・オープン」で予選落ちという「プロの洗礼」を受けた。そしてそれから16試合続けての予選落ち、輝かしい経歴を持つ新人に、試練の道が待っていたのだ。
ジャスティン・ローズ「予選落ちし続けても、それは自分に才能がないのではなく、自分の力が出し切れていないということに気がついたんだ。だから練習あるのみ。早く自分本来のプレーを試合で出せるようになりたくてね。予選落ちからは学ぶことは多いけど、精神的に傷ついたりしていない。早く優勝争いに名前を挙げて、この状態から脱したいよ。」
99年の欧州PGAツアー「Qスクール」で4位タイに終わったジャスティンは、2000年シーズン26試合に参戦、しかしその半分の13試合は予選落ちだった。しかし諦めない性格のジャスティン・ローズらしく、前向きな努力で2001年シーズンは29試合中予選落ちはたったの5つにまで減少。「ダンヒル選手権」では1打差で優勝こそ逃したものの、優勝争いに名前が入るまでになった。そしてついに2002年、「アルフレッド・ダンヒル選手権」最終日、14番ホールまでは首位タイだったジャスティン・ローズ。
ジャスティン・ローズ「15番での5番アイアンはキャリア最良のショットだった。」
そして16番でのバンカーアウトも大成功し、2連続バーディ。さらに最終ホールでもバーディを奪い、ついにジャスティン・ローズはプロになって3年半で初優勝をその手中に収めた。