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「パナソニックオープン」撤退を惜しむ

パナソニックのブランド名が、ゴルフ界でも一際の存在感を持ったのは今から5年前。2008年初めに当時16歳でプロ転向した石川遼と所属契約を結び、同年のシーズンから国内男子ツアーのスケジュールにも「アジアパシフィック パナソニックオープン」が新たに加わった。その後まばゆいばかりの活躍をすることになる石川との契約が、話題としては先行したが、毎年秋口に行われたパナソニックオープンも、強い独自色を持ったトーナメントとして内外から評価が高かった。

同社、アジアパシフィックゴルフ連盟、そして日本ゴルフ協会の共催競技として開催され、日本ツアーのメンバーをはじめ、アジアおよび環太平洋地域の選手が集結。獲得賞金、そして優勝者に与えられるシード権は、日本ツアーでもアジアンツアーでも有効とされるジョイント・イベントとして、多くの選手たちに門戸を開いてきた。

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例年、舞台となったのは、近畿圏の名門クラブ。それぞれが決して短くない準備期間を経て、難易度の高いセッティングを整えてきた。会場もグリーンサイドには大観覧席が設けられ、その最上段には、色とりどりの国旗がなびく。外国人選手の混乱を招かないように、毎日、宿舎からコースを行き来する大型輸送バスが手配されるのはアジアや欧州ではもはや“常識”だが、日本ツアーでは極めて稀なホスピタリティーだった。

ただ、この大会の最も異色な取り組みは、トーナメント自体が国内にとどまらず、アジア地域を巻き込んで行われたものだったことだろう。

春先にはアジアンツアーの試合として、インドでもパナソニックオープンを開催。また、タイ、インドネシアでは複数の別トーナメントに協賛し「ROAD TO Panasonic OPEN」として、それぞれのシリーズでの成績上位者に、日本開催の試合への出場権を付与。日本ツアー参戦への“登竜門”としての役割も担ったのである。

もちろんこれは、世界的電機メーカーのパナソニック社自体のマーケットシェア拡大が大きな目的だ。莫大な数の工場や従業員が点在するアジアで、ブランドネームを広く打ち出したい。その企業戦略とプロゴルフをマッチさせ、“世界との接点”を最大のウリにして、トーナメントの価値を高めてきたのである。

同社は近年の業績悪化により、経営合理化の観点から今年度をもって日本ツアーからの一時撤退を決めた。だが、このアジア諸国での大会は来年以降も継続することが決まっている。

6度の大会ではあったが、歴代優勝者たちはそれぞれが世界との関わりを持った選手たちだった。第1回大会覇者の谷原秀人、3代目王者のブレンダン・ジョーンズはかねてから米国での活躍が期待された。丸山大輔平塚哲二小林正則は戦いの場をアジアにも求め、積極的に渡航を繰り返した面々だった。そして今年、6代目のチャンピオンとなった20歳の川村昌弘は、幼いころから最大の夢を「全英オープン制覇」と謳い、「いろんな国でゴルフをしたい」と独特の価値観を持ち合わせる若き逸材だ。

終盤の大逆転で記念すべきツアー初優勝を飾った川村は、優勝スピーチの最後に「素晴らしいこの大会を、またぜひ、開催していただきたいと思います」と震えそうな声で訴えた。勇気を出して口にした願いは、何も彼だけのものではなかったはずだ。(桂川洋一)

桂川洋一(かつらがわよういち) プロフィール

1980年生まれ。生まれは岐阜。育ちは兵庫、東京、千葉。2011年にスポーツ新聞社を経てGDO入社。ふくらはぎが太いのは自慢でもなんでもないコンプレックス。出張の毎日ながら旅行用の歯磨き粉を最後まで使った試しがない。ツイッター: @yktrgw

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2013年 アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ パナソニックオープン



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