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小田孔明 未知数の実力を秘めた、未完の大器

満を持してのプロテスト、落ちていたら自衛隊!?

「プロテストを受験したのは、研修生になってから3年後の2000年。親父に一発で受かるようになるまで受けるな、と言われていまして。(研修生をしているゴルフ場で)平均アンダーで回れることが受験できる条件だったんですが、3年目になって平均2から3アンダーで回れるようになったので、じゃあ受けてみようか、となりました」。『一発で受かれ!』という父親からの言葉は、小田自身に少なからず重圧を与えていたはず。しかし、小田にはそれにも増して大きな重圧がかかる条件が、このプロテストに潜んでいたのである。

「姉が自衛隊に所属しているんですが、『プロテストで一発で受からないようならゴルフなんか止めて、自衛隊に入りなさい』と言われたんですよ。それぐらいの覚悟じゃないとダメだ、という感じで。周りは冗談に受け取る人も多いけど、あの時の姉の目は真剣でしたからね。落ちていたら、本当に自衛隊を受験していたかもしれません。体格は良かったですからね」。

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そして臨んだプロテスト。家族からの強烈な愛のムチ(!?)が功を奏したのか、小田は見事に一発合格を果たす。「もう、本当に根性でしたよ。自衛隊どうこうではなくて、子供のころから続けてきたゴルフを諦められるのか、という不安がありましたね。“落ちるわけにはいかない”と、自分に言い聞かせながらまわっていました」。

その後、2003年の「マンシングウェアオープンKSBカップ」でツアーデビューを果たし、同年の賞金ランキングは84位。まずまずの滑り出しを見せ、2004年、2005年とさらなる飛躍を目指したい小田だったが、己が犯したミスにより2005年シーズンを棒に振ってしまうことになるとは…。

「グーセンと同組だったから浮かれちゃって…(笑)」

シード権を持たない小田にとって、2005年度のツアー出場権を得るにはQT(予選会)で上位に入るしかない。そのQTサードステージのエントリー締め切りは、2004年9月の「サントリーオープン」後だった。その大会の最終日、小田は海外招待選手として参戦していた南アフリカのスター選手、レティーフ・グーセンと同組となる。「すっかり浮かれちゃって、エントリーを完全に忘れていまして…。気が付いたのは次の週でした」と、今だから笑える話だが、当時の小田にとっては翌シーズンを棒に振ってしまうという大問題。それでも、「とりあえず、地方のオープン競技に出まくりました。優勝もできましたし、自信にはなりましたね」とプロとしての経験を上積みさせていた小田は、翌2006年シーズン、終盤戦までシード権争いの渦中に身を置いていた。

しかし、最終賞金ランキングが確定する「カシオワールドオープン」で無念の予選落ち。惜しくも初シード権獲得はならなかったものの、「その悔しさがあったから、頑張れた」という同年のQTファイナルステージ。小田は5位に食い込み、翌2007年シーズンのほぼ全ての試合に出場できる権利を手にする。そして、小田の快進撃はここから始まるのだ。

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