日本で初めてのスピーチは「2点」 イ・サンヒが亡き父に報いる14年目の初優勝
◇国内男子◇Sansan KBCオーガスタゴルフトーナメント 最終日(30日)◇芥屋GC(福岡)◇7293yd(パー72)◇晴れ(観衆8207人)
ジュニア時代に「韓国アマ」などを制し、鳴り物入りで参戦した日本ツアーで勝つまでに14年かかった。数十センチのウィニングパットに笑顔がひらく。「泣くんじゃないかと思っていたけれど、優勝した瞬間、『日本語でスピーチしなくちゃいけない』と思ってハッとした」と、イ・サンヒのうれし涙は思わぬ形で引っ込んだ。
日本でのキャリアではこれまで2位が実に8回。初タイトルはシルバーコレクターらしからぬ強さを見せて勝ち取った。首位タイから出だし1番で3mのスライスラインを流し込んでバーディ発進。硬く締まった高麗グリーンを丁寧に攻め、後半は同じ最終組の細野勇策とのマッチレースを展開した。
数々の惜敗の記憶に惑わされることはなかったという。2打差で岩崎亜久竜に敗れ、8度目の2位だった7月の「ジャパンプレーヤーズチャンピオンシップ」は「こういう風にやれば勝てるかもしれないと実感した」試合だった。「優勝に執着するのではなく目の前の一打に集中する」。3.5mのバーディパットを沈めた14番で一歩前に出ると、15番も獲って3連続。7バーディ「65」で後続に3打差をつける通算23アンダーで逃げ切った。
炎天下で必死に日本語で行った表彰式のスピーチの自己採点は、100点満点中「2点」だという。厳しすぎる評価には理由があった。2023年1月、父のホンシッさんが72歳で亡くなった。「あの場で父への想いを伝えたかった。僕の日本語力が足りなかった」と悔やむ。
アマ時代から転戦先にはいつも、コーチでありマネジャーでもあったホンシッさんと赴いた。2年間の兵役を終えた22年12月にパク・ヘミさんと結婚。父はその1カ月後に病で帰らぬ人となった。「心に大きな穴が開いた。結婚もして一家の主としての責任も余計に感じる」。17年に通算4勝目を挙げたのを最後に、韓国ツアーでも勝てないシーズンが続いていた。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』。韓国にも同じことわざがある。父にいつも言われた言葉だ。いつも謙虚に、礼儀正しく。単独リーダーの座にあっても、おごらず攻め続ける。「きょうは、やるべきことをブレずにやり続けたことが誇らしい」と72ホールを終えて胸を張った。
毎シーズンのトップ選手が出場する最終戦「日本シリーズJTカップ」には過去4回出場。「初めて優勝者として出られる」ことがうれしい。年間ポイントレースで7位に浮上し、目標である日本開催のPGAツアー「ベイカレントCレクサス」の出場権獲得ラインとなる6位に迫った(9月28日時点のランク)。34歳でつかんだ1勝に甘んじるつもりはない。日本語で「イマからです」と言い切った。(福岡県糸島市/桂川洋一)