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「おれの資格はどこへ?」松山英樹が抱いたJGTOへの困惑

<2014年末・松山英樹単独会見(1)日本ツアーへの愛着>

2014年6月1日、日本ゴルフ界の行く手を阻んできた重い扉が、音を立てて再び開いた。オハイオ州ミュアフィールドビレッジGCで行われた「ザ・メモリアルオープン」で、22歳の松山英樹が米国男子ツアー(PGATOUR)初優勝を飾った瞬間だ。2008年の今田竜二(AT&Tクラシック)以来6年ぶり、日本人史上4人目の快挙。松山はその事実にも淡々と向き合い、ただ次の目標へと邁進している。試合間隔が約1カ月空いた12月の某日、1年の間に募った思いをGDOの単独インタビューで吐露した。

今年一番手応えのあったゲームについて、松山英樹は、国内ツアー通算6勝目となった11月の「ダンロップフェニックスオープン」を挙げた。米ツアーでしのぎを削るジョーダン・スピースと日々争い、最後は東北福祉大OBの先輩、岩田寛をプレーオフで退けた試合。その4日間を「今年で一番良いゴルフをしたんじゃないかな」と、あの「ザ・メモリアル」よりも上位にランク付けた。

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「重圧はもちろんあった。でも自分にプレッシャーかけるのは当然ですよ。昔から勝ちたい試合のひとつだったし、(主催のダンロップスポーツは)スポンサーさん。それにもちろん久しぶりの日本の試合だった。気合いが入らないわけがないでしょ」

だが、この勝利が別の意味も持ったことを多くのゴルフファンは知っている。日本ツアーを主管する日本ゴルフツアー機構(JGTO)は今年3月、複数年シードを取った選手に対し、年間5試合の出場を義務付けるルール改正を行った。主戦場を米国へ移した松山、そして石川遼の人気による恩恵をキープしようと、昨年までは「0試合」だった出場義務をやぶから棒に「5」に増やした。結果的に2試合の出場にとどまった松山には15年度の出場停止処分を科せられる可能性があったが、この1勝で別カテゴリーによる別のシード権を獲得。議論を自らの手で鎮静化させたのだった。

これで問題は終わりだろうか? 松山がこの「5試合ルール」を初めて耳にした時に抱いた思いは、文字にしてみるとショッキングなものだ。

「正直に言えば…『ああ、もう好きにすれば…』という感じがした」

2013年シーズンの国内賞金王に輝き、14年からの5年シードを獲得していた。米ツアー本格参戦を心に決めていた13年終盤の心境としては、「0試合」でシードを維持できる権利は、「賞金王」の称号よりもずっと魅力的だった。だから思わずにはいられなかった。

「『(今季は)5試合も出られない』というのではなくて、『おれが取ったはずの資格はどこに行ったの?』と思った。ゼロ(試合でシードを維持できる)の資格を取ったのに、どこに行ったの?って」

出場権のからむツアーのルール改訂には一定期間の経過措置が設けられるのが一般的だ。事実、15年から改定される賞金シードは、新ルール施行の1年以上前に通知があり、選手たちは「今季の賞金ランク60位以上が来季の第1シード、61~75位は第2シードになる」という規定のもとで14年シーズンを戦った。しかし、この「5試合ルール」は、開幕前に突然制定され、施行された。松山が“権利を剥奪された”と感じるのも当然だ。

「それに、なんで増やしたのかな?って。じゃあ例えば、遼と僕が日本ツアーに残っていて、仮に片山晋呉さんと丸山(茂樹)さんが海外に出て行く状況だったら、この規定を簡単に作りましたか?とも思う。(日本ツアーにおける)いまの僕たちの立場がもっと上だったら、どうだったのか…と」

石川遼と松山――。実力と人気は無論国内トップクラスだが、2人はまだ20代前半。ひとたびコースを離れれば、大勢の選手の後輩プロのひとりにすぎない。その“無力さ”を、いいように利用されたような気がしてならない。

「ツアー全体として議論があって、5試合というのを確立してやるなら分かる。でも…そこで、またゼロに戻そうかという話(編注:来季以降の規定を再検討する議論)が出ていると聞いた。もう何をどうしたいのか…よく分からない」

<なぜ米国を選ぶのか?>

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