ツアープレーヤーたちのよもやまバナシ<すし石垣>
2007/04/02 00:56
インドネシアのビンタン島で行われたアジアンツアーの「モトローラインターナショナル」は、ホテルがヤモリの寝床だったり、シャワーが便器のほとんど真上についていたりと、なかなか過酷な環境だったようだ。参加した日本選手のほとんどが悲鳴をあげて、次々と別のホテルに引越す中で、ひとり涼しい顔をしていたのがすし石垣だった。
日本ツアーの出場権がない時代、約5年間をアジアンツアーで過ごしてきただけに、「こんなの、全然ましなほうだよ」と、平然と言った。
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ベトナムで、わずか8ドルの宿に泊まったこともある。案内された狭い部屋は、トイレとベッドルームとの仕切りもなく「ほんとうにただ寝るためだけのスペース」。あれと比べたら「今回のは天国だよ」とすしは言う。
インドの大会では、道端にごろごろと死体が転がっている中を会場入りした。コースに着くと、揃って口ひげをたくわえたおびただしい数の男たちに「俺をキャディに雇ってくれ」と詰め寄られた。
特に命の危険を感じたのは、パキスタンで行われた大会のときだった。空港に着いたら、銃を持った人たちに迎えられて仰天した。安全確保のために、軍が選手をアテンドしてくれるのだが、その徹底ぶりは半端ではなかったという。
ホテルに入るだけでも手荷物チェックがあり、金属探知機を当てられる。なんとかチェックインを済ませると、窓の外には崩れたビルが間近に見えた。ホテルの人に「あの建物はどうしたの」とたずねると「先週、爆撃されたんだ」とこともなげに言われて背筋が凍った。
夕方、プロ仲間に「銀行についていってくれ」と言われたが、さすがのすしも断った。それでも「どうしても」と懇願されて、渋々腰を上げたがすぐに後悔した。フロントに道を聞いたら「この先の信号を右に曲がってすぐのところ」と説明された。
しかし、言われた信号機ははるか遠く、米粒のように見えていた。銃を抱えた人たちと道ですれ違うたびに、ものすごい形相でにらまれた。通り過ぎてもまだ背中に視線を感じ、恐ろしいことこの上なかった。やはり銀行でも金属探知を当てられ、ようやく換金してホテルへ帰る道すがら。正面から、ただならぬ気配を漂わせた3人の軍人がやってきた。
息を殺してすれ違い、少し行ったところで背後の怪しい物音に縮みあがった。「とうとう来たか・・・」。さっきの軍人が自分たちを捕まえにきたのだと思ったのだ。覚悟を決めて恐る恐る振り返ると、大きな枯れ葉が風に吹かれているばかり。「・・・葉っぱの音にビビっちゃったんですね~」と、当時の恐怖を振り返って苦笑した。
そんな旅のよもやまバナシは、尽きることがない。そしてそんな恐怖体験も、すしの口から語られるとどこか楽しげだから不思議だ。
アメリカや欧州を目指す選手がほとんどの今、好んでアジアを選んでいるふうのすしを見ていると、プロとしてこんな生き方もありかもしれないとも思えてくる。翌週に挑戦した全英オープンのアジア予選。初日3位タイの好発進で、のぞんだテレビインタビュー。帯同していたコーチの中井学さんは英語が堪能だが、すしは頑としてその手を借りようとはせず、自分の言葉で懸命に気持ちを伝えようとしていた。
最後に、インタビュアーに聞かれた。「日本ツアーで優勝したのは何年のときですか?」。真顔で答えた。「ディスイヤー!!」。インタビュアーは一瞬キョトンとしてから、すぐに意味を理解して大きく頷いた。「そうだね、そうなれば本当にいいね!」。いつでもどこでも自然体。魅力いっぱいのすしは今年、初シード選手としてツアー初優勝を狙っていく。