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<藤田寛之の華麗なるフェードのルーツを探る>

一昨年、43歳にして賞金王になった藤田寛之ですが、97年の「サントリーオープン」で初優勝して初めてシード選手になって以来、勝ち星がない年もあったものの、コンスタントに賞金シードを獲得して現在に至る、とても息の長い選手でもあります。その息の長さを支えているのが、持ち球の低いフェードボールです。

しかし、藤田は元々のフェードヒッターではありません。大学を出てプロになったばかりの頃は、高く舞い上がって左へ曲がるハイドローを持ち球にしていました。ドローヒッターの藤田にフェードを教えたのは、もちろん、藤田が師匠とあがめ、今でも悩むと相談する芹澤信雄です。芹澤によれば、「とにかく稼げるプロにしようと藤田君にフェードを教えた」と言うのです。

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フェードボールと言うと、アマチュアはスライスの曲がりが小さくなった球筋だと思いがちですが、ビギナーのスライスと藤田や芹澤が持ち球にしているフェードとは右に曲がるという共通点はあるものの、実はテクニックでは雲泥の差があります。「簡単に言ってしまうと、腰をターンしながらインパクトでボールを押し込むように打つんです。そうするとボールは野球で言う縦シュートのような球筋になります。これは相当高等なテクニックです」と芹澤は言います。

ドローボールは、ほんのちょっとタイミングがずれたりすると、思っていたより強い球になってしまったり、安定感がないのに対して、腰の回転で打つフェードボールはコントロール性がいいのだそうです。だから「稼げる球筋」なのです。

芹澤がその球筋を身に付けたのは、まだプロになりたてのころで、27か28歳でした。
「金井清一さんと試合で一緒になる機会があって、素晴らしい球筋だなと思って、『教えてください』と頼んだんです」と芹澤のルーツは金井清一にあると言います。

金井は20歳でゴルフを始めたレイトビギナーです。日本プロで2勝を挙げている他、当時は”公式戦”と呼ばれていた関東オープンや関東プロのタイトルを取るなどで「公式戦男」と呼ばれていたプロです。「僕もゴルフを始めたのは高校を出てからですから、金井さんの言うことがよく分かったんですね」と芹澤は言います。

さらにいえば、その金井にフェードボールを伝授したのは、戸田藤一郎(1914~1984年)です。「第1回のフジサンケイクラシックが高坂CCで開催されたときでした」と金井は戸田との出会いを語ってくれました。「戸田先生は、ボールは払うように横から打つのではなくて、ボールを真っ二つに割るつもりで上から打て、と教えてくれました」と金井は懐かしそうに話します。

もはや鬼籍に入り伝説の人になった戸田ですが、存命中も“鬼才”と呼ばれたプロです。18歳で関西オープンに初優勝すると同タイトルを4回制覇。日本オープン2回、日本プロ4回、関西プロ7回。当時「公式戦」と呼ばれた4試合を同一年に制覇する”日本の年間グランドスラム“の唯一の達成者でもありました。戸田も金井や芹澤、藤田と同様にプロとしては息の長い選手でした。最後に日本オープンで勝ったのは49歳のときです。さらに57歳で関西プロに勝っています。

戸田から金井へ。金井から芹澤へ。そして芹澤から藤田へと匠の技は受け継がれていたのです。ああ、なんと華麗なるゴルフ界の継承絵図・・・!! そう考えるとゴルフ観戦もまた深みを増して、違った見方ができそうですよね。

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