われわれは敵ではないよ!松山英樹に伝えたいこと
2019年 全英オープン
期間:07/18〜07/21 場所:ロイヤルポートラッシュGC(北アイルランド)
ポートラッシュで「全英」を制した遊び心/実況アナ点描
2019/07/21 12:31
シーズンのメジャー最終戦となった「全英オープン」は今年、北アイルランドのロイヤルポートラッシュGCで開催。普段は米ゴルフチャンネルで欧州ツアーをメーンに実況する小松直行氏は今週、ゴルフネットワークで連日ゲスト解説を務める。米国に拠点を置くゴルフアナリストが日々の熱戦の風景を切り取る。
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3日目までいかにも好調なシェーン・ローリーが、週明けの時点では緊張感に耐えられないと感じていたという話を聞いたり、天才ロリー・マキロイがナーバスになって初日の第一打でOBを打った末に予選落ちしたのを目の当たりにすると、自信と不安は表裏一体なのだろうと思えてくる。
自信はあった方がいいし、同時に不安でもオッケーだということか…。ともあれ、世界の競技ゴルフの頂点を決しようという全英オープンにも、いかにも勝負を楽しんでいたと感じさせる逸話があり、どこか惹かれるものがある。
68年前、ロイヤル・ポートラッシュで開催された第80回全英オープンで勝ったのはマックス・フォークナー。第2次世界大戦中は英空軍にいて、復員後、欧州ツアーで13勝してメジャーチャンピオンにもなった。2005年に88歳で亡くなっている。カラフルなウエアがトレードマークで、ライラック色のパンツにサーモンピンクのソックスといった目立つ色を着て試合に出た。
プレーぶりもカラフルで、深刻な様子は微塵もなく、時には騒々しくふざけながら、試合中に宣言してトリックショットを披露した。マッチプレーで8ホールまでに5アップして、次のホールまでグリーンから逆立ちで歩いたこともあったらしい。
そのマッチは、そこからひどいスライスの連発で逆転負け。以後、逆立ちはしなくなったというが、何しろ遊び好き。練習をしたことも、スイングの理屈を考えたこともなかった。ゴルフを単純なゲームだと考えていたフォークナーは「途中で飽きてしまうので遊びながらラウンドするのだ」と雑誌のインタビューで語っていた。
1951年のポートラッシュでは、セカンドラウンドを6打リードの単独首位で終えた。上がってきたところで、ギャラリーに「あなたが勝つのだから『オープンチャンピンのマックス・フォークナー』と書いてくれ」とせがまれ、その通りにした。書いた後で「こいつは困ったぞ。負けるわけにはいかなくなった」と思ったという後日談がある。
当時は土曜日に決勝2ラウンドを行っていた。金曜の夜、決勝を一緒に回るフランク・ストラナハンに「あしたは俺に一言も話しかけないでくれ」と申し渡した。おしゃべり好きなストラナハンを困らせてやろうといういたずら心だったかどうかは定かではないが、ストラナハンは翌日、終盤まで一言も口をきかなかった。
4打リードして迎えた最終ラウンドの16番(今年の18番ホール)で、フォークナーはティショットを左へ引っ掛け、球はOBを示す有刺鉄線の際。4番ウッドを取り出したフォークナーはOB方向へ打ち出す大胆なスライスを放った。見事にグリーンをとらえたそのショットにストラナハンは歩み寄ってきて手を握り、「あんな繊細極まるショットは生まれて初めて見たよ」と声をかけると、その後はまた何も言わなかったという。
そのホールをしのいだフォークナーは優勝。翌年以降も全英オープンには出場したが、優勝を争うことはなかった。なぜかを問われると「全英オープンに2度も勝ちたいなんて思いもしないぜ」と答えた。
フォークナーのようなメンタリティ、あるいは遊び心は現代にあり得るだろうか。そんなプレーヤーがいたらフィールドはそこだけ明るくなって楽しいだろうな、と夢想する。そんなプレーヤーはやっぱり、全英オープンで一度は勝てるような気もしてくる。
小松直行(こまつ・なおゆき)
1960年横浜市生まれ。筑波大体育専門学群卒、東京大大学院教育学研究科博士課程中退。教職、マスコミを経て、スポーツ科学全般を学んだ背景からゴルフに入れ込み、90年代からトーナメント中継に関わる。2002年に渡米し、現在は米ゴルフチャンネルで欧州ツアーを中心に年間約40試合の実況をしている。フロリダ州オーランド在住。