波乱に始まり波乱で終わるマスターズ
2013年 マスターズ
期間:04/11〜04/14 場所:オーガスタナショナルGC(ジョージア州)
全ては明日のために スネデカーが首位に躍進
By Helen Ross, PGATOUR.COM
ブラント・スネデカーが、オーガスタナショナルで安定したスコアを叩き出している。5年前のマスターズでも決勝ラウンドに勝ち進んだスネデカー。最終組でプレーをした選手が獲得したタイトルは、それまでの22大会のうち19タイトルに上るという。あの時、覇者とラウンドを回ったスネデカーは、最終日のスコアを「77」と落とし、涙を流して、負け犬のような気持ちで故郷テネシー州ナッシュビルへと戻った。あの日のみじめな思いと向き合うのは大変だったという。スネデカーは、どれだけ頑張っても乗り越えられそうになかったと振り返る。
「でも、それも人生だ。成長するためには不可欠だったんだ」。落ち着いた語り口調のスネデカーは、「僕にはまだまだ足りないところがあったっていうことなんだ」と当時を振り返る。
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そうやってスネデカーは踏ん張って、逞しく成長した。昨季は2勝目を挙げてFedEx Cup王者となり、1千万ドルのボーナスを獲得した。世界で最も注目を集める選手と変貌を遂げたスネデカーは今年、肋骨のケガで悩まされ、全米オープンの欠場を余儀なくされたが、その前の大会で2位をマークすると、2週間後のAT&Tペブルビーチナショナルプロアマで優勝した。
そして今、スネデカーは第77回マスターズ・トーナメントの最終日を、最終組で迎えようとしている。32歳のスネデカーはただ、いい年齢になったわけではなく、ゴルファーとして成長を遂げた。本人がその必要性を理解していたからだ。
「僕の人生32年は、明日を迎えるためにあった。すべてが成長するための過程だったんだ。今の僕は100パーセント完全に落ち着いている。明日はどんなことが起きても、うまく対処する準備はできている」とスネデカーは語り、「もし負けるようなことがあれば、滅入るよ。以上だ」と語った。
「僕はここに良い成績を収めようとしに来たんじゃない。トップ5で終わる気はない。優勝をする。明日狙うのは、それだけだよ」と決意を新たにした。
最終組のスネデカーが、目標を達成するのには有り余るほどの時間がある。ペアを組んで回るのは、スネデカー以外に唯一ここまで毎日アンダーパーをマークしてきたアンヘル・カブレラだが、ティオフするのは現地午後2時40分となる。その頃には、グリーンは荒れて固くなるため、プレーは難易度を増す。
2008年の大会最終日、トレバー・イメルマンに打ち勝とうとした時、自分でも何をやっているかわからなかったとスネデカーは明かす。当時はオーガスタナショナルで勝つチャンスに恵まれた実感もなく、いつパーで落ち着けるかわからずにいた。ドライバーが曲がってミスをしたところでも何も考えていなかったのだという。
ハックルベリー・フィンの親友(親しみやすい風貌からこう呼ばれる)は、今では明確な考えを持っている。スネデカーは先週、ジョージア州のシーアイランドで過ごし、スウィングを徹底的に調整した。ひたすらボールを転がし続け、ミスショットを修正した。もちろん、オーガスタナショナルで優勝するためだ。スネデカーは理由を説明する。
「ドライバーショットを決めないとね」と、ここまでフェアウェイキープ率81パーセントのスネデカーは語る。全日程のうち2日目は異なった。「ラフあたりからの一打が遠くに飛ばせなかった。フェアウェイにキープして、パー5のコースをうまく回れれば、最高の一日になるはずだ」とスネデカーは語る。
3日目を首位で終えたスネデカーは同日、12連続パーでラウンドを進めると、バック9のパー5のコースでも2つのバーディを奪った。さらには、外したパットで多くの記憶が刻まれている16ホールでも、バーディを決めている。ストロークでランクアップしたスネデカーはパットにも磨きがかかっている。
「ここでうまくパッティングできなければ、プレーにも影響が出る。週末にかけてかなりの時間を費やしたけれど、今週一番こだわったのはパッティングだよ。グリーンでも気負うことなくプレーできるようにしたかったんだ。これまでのところ、功を奏しているみたいだ」とスネデカーは語る。
スネデカーが言うには、2013年シーズンが始まった時の自分に、かなり近づいているという。自信も戻りつつある。ショートゲームも調子がいい。オーガスタナショナルに来るまでに2度の予選落ちをしたことは、普通の状態とは異なるということも自覚している。
「僕はタイガー・ウッズじゃないし、ロリー・マキロイでもない。また、何百回も連続で予選落ちする選手でもなければ、他を圧倒する強者でもない。僕は上がったり下がったりする選手なんだ。それは重々承知さ。だから出来るだけ落ちないよう頑張るし、できるだけ上を目指して努力する。僕に出来るのはそれだけだよ」とスネデカーは言う。
2月に時を戻すと、医師から言い渡された(休養の)指示が良かったのかもしれない。スネデカーは開幕早々、6週間で5大会に出場すると、うち4大会で上位の成績を収めた。おそらく消耗しきったのだろう。休養が必要だったのだ。たとえ、キャリアで一番油が乗っている時期だったにせよ。
すると、スネデカーは学生時代からの恋人で妻となったマンディと、2人の子供を連れ、休養のためにハワイを訪れた。次の世界ゴルフ選手権を欠場し、肋骨のケガを治すことにしたのだ。その後に練習を再開し、実戦に復帰を果たしたスネデカーは準備万端だった。心身ともに万全となって、ついに再起の舞台へと挑む。決戦の最終日は、目前だ。
「明日のため、人生をかけて頑張ってきた」そう語るスネデカーの成長した姿を、明日私たちは目撃するだろう。