10年目の苦悩と新世代の息吹/松山英樹 2022年末インタビュー
アジア勢が再び飛躍 2022年PGAツアーでの旋風を振り返る
2022年の男子プロゴルフは新勢力「LIVゴルフ」との構図が注目された一方で、アジア出身の選手が再び飛躍を遂げた一年でもあった。PGAツアーのオリジナルコラムはChuah Choo Chiang氏が23年への期待を込めて今年を締めくくる。
アジアのゴルフにとって、2022年は記憶に残る幸福な年だった。極東から出たトッププレーヤーたちは世界最高峰の舞台であるPGAツアーで素晴らしいパフォーマンスを見せ、歴史的な快挙を記録し続けた。
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韓国のトム・キムに始まり、イム・ソンジェや松山英樹、イ・キョンフン…。彼らはボギーよりも多くのバーディを奪い、2022年をアジアにとって素晴らしいものにした。下部コーンフェリーツアーにおいてはカール・ヤン(中国)、ユ俊安(台湾)をはじめとした5人のアジア勢がPGAツアーへの扉を開いた。そして53歳のトンチャイ・ジェイディーはシニアのPGAツアーチャンピオンズでタイ勢として初めて優勝した。
ロープの外ではPGAツアーとDPワールドツアー(欧州ツアー)、日本ツアー、韓国PGA、インドツアーが新たに、より強い提携関係を築いた。この連携はアジアのトップ選手がキャリアを通じて、国際的なツアーへの道を切り開くことを後押しする。
なんと言っても、話題をさらったのは20歳のトム・キムだった。彼の若々しい勇敢さ、尽きることのないエネルギー、すさまじい才能は特筆すべきもの。「ウィンダム選手権」、「シュライナーズチルドレンオープン」での2勝を挙げ、タイガー・ウッズよりも若くして21歳未満で複数回優勝した史上6人目の選手になった。
9月、クエイルホロークラブでの「ザ・プレジデンツカップ」では湧き出る感情を全身で表現した。クラッチショットでガッツポーズを作り、キャップを投げ、世界選抜に活力を与えた。すでにチームでは世界ランキングで15位と最上位で、主将のトレバー・イメルマンは「彼はゴルフというスポーツにとってのギフトだ」とさえ言った。
英語名が『きかんしゃトーマス』に由来する彼にとって、この12カ月間が激動だったことは疑いようがない。「20歳でPGAツアーでプレーすることは、5歳児がディズニーランドにいるのと変わらない」と本人も笑う。
同じ韓国出身選手では、24歳のイム・ソンジェが、フェデックスカップの最終戦「ツアー選手権」でロリー・マキロイ(北アイルランド)に次ぐ2位に入り、アジア勢史上最高の順位でシーズンを終えた。その他に3回の2位、8回のトップ10フィニッシュでボーナスの575万ドル(7億6831万円)を獲得。2019年からわずか3年で1700万ドル(約24億円)を稼いだことになる。「マスターズ」でも8位に入り、12月には結婚して一年を締めくくった。
イ・キョンフンは「AT&Tバイロン・ネルソン」でタイトルを防衛した。同大会をかつて連覇したのはサム・スニード、ジャック・ニクラス、トム・ワトソンといったそうそうたる面々。最終日に「63」をマークして地元テキサスのヒーロー、ジョーダン・スピースを破って見せ「信じられない気持ち。夢みたいだ」と言った。彼もまた「ツアー選手権」に進み、最終戦はアジア勢が3人プレーしたのである。
日本のスーパースター・松山英樹はシーズンの初めから背中をはじめとした故障を抱えながら、1月の「ソニーオープンinハワイ」で優勝しアジア勢最多のツアー通算8勝に並んだ。最終日にラッセル・ヘンリーとの5打差を追いついてプレーオフに持ち込むと、残り276ydから3Wでの2打目でピンを突き刺し、わずか90㎝のイーグルパットを決めて勝負を決めた。今年のベストショットの1つと言って間違いない。
同じく8勝を挙げた韓国のチェ・キョンジュは1999年に韓国人選手として初めてツアーカードを得た。アジアのレジェンドは松山のプレーを初めて見たときのことを忘れていない。「彼は他の選手とは違うものを持っていた。テクニックが独特。これからはけがをしないことが一番重要だろう。コンディションさえキープすれば、まだまだ勝つ。私は、アスリートは記録を破るためにいると考えている。英樹が私に追いついてくれたことを幸せに思う」
プレジデンツカップで世界選抜は米国選抜に12回目の勝利を献上したが、将来に向けた小さな勝利の兆しを積み重ねた。4人の韓国勢は1週間でチームの12.5ポイントのうち実に7.5ポイントを奪い、今後、世界選抜の一大勢力となり得ることを示している。
アジア勢の活躍は22年、コーンフェリーツアーでも見られた。若手の竇沢成、やカール・ヤンは中国を背負ってPGAツアーに挑戦。元世界アマチュアランキング1位のユ俊安は親友で目標でもあるC.T.パンと台湾の代表として参戦した。キム・ソンヒョンやアン・ビョンフンも下部からツアーカードを獲得した。
2021年まで世界ランクトップ50にいながら、その後シードを落としたアンは言った。「いつもモチベーションは自分の中にある。世界で最高のゴルファーになりたい。皆がそのために戦っているんだ」。それこそが、挑戦と向かい合うアジアンスピリットだ。