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後世に残したいゴルフ記録

日本が誇る2人の年間グランドスラマー/残したいゴルフ記録

2020/04/05 07:05

国内男子ゴルフのツアー制度が始まった1973年より前の記録は、公式にほとんど残されていません。本連載では、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が取材メモや文献により男子ツアーの前史をたどり、後世に残したい記録として紹介します。

“グランドスラム”発祥の歴史

4大メジャーを制する“グランドスラム”という言葉は、「球聖」としてゴルフ史に名を残したボビー・ジョーンズが発祥だ。1930年、アメリカのトップアマのジョーンズは「全英アマ」、「全英オープン」、「全米オープン」、「全米アマ選手権」(獲得順)を制覇。米ゴルフで初、そして世界ゴルフ史上に燦然と輝く唯一の年間グランドスラムを達成した。10代で天才少年と名を挙げたジョーンズは当時28歳。アマチュア選手がなしうるすべてのタイトルを一手にした快挙、“ボビースラム”の誕生だった。

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現在の「マスターズ」、「全米プロ」、「全米オープン」、「全英オープン」の4大会がメジャーと呼ばれるようになったのは、1934年に「マスターズ」が創始されてからだ。過去にジーン・サラゼン、ベン・ホーガン、ジャック・ニクラスゲーリー・プレーヤー、そしてタイガー・ウッズの5人が「生涯」で達成したものの、ジョーンズ以降は誰ひとり「年間」は果たせていない。

“ボビースラム”は、それほどすごい未曽有の記録。ジョーンズは自伝で「あれ以来、自分が遂げたことのすごさに目標を見失った」と述べたほど。その言葉通り、唯一無二の快挙を達成したその2年後、30歳の若さで引退を表明した。1934年、故郷のジョージア州オーガスタで「マスターズ」を創設したのは周知のとおり。

日本ゴルフ界で初めての年間グランドスラム

その年間グランドスラムを、日本では2人のプロ選手が達成している、というのが今回の本題である。日本にもジョーンズの快挙が伝えられた9年後の1939年、日本の男子プロゴルフ界に、初めての年間グランドスラマーが誕生した。24歳の戸田藤一郎が「日本オープン」「日本プロ」「関西オープン」「関西プロ」を制し、当時の4大タイトルを独占したのだ。

同年6月、戸田が所属する廣野GC(兵庫)で開催された「日本オープン」を5打差で圧勝して、それは始まった。3カ月後の9月「関西プロ」(大阪GC・淡輪コース)では、マッチプレーの決勝戦を第一人者の宮本留吉と18ホールで争い、5アンド4で完勝。さらに「関西オープン」(廣野)も7打差で圧勝し、強さを見せつける。

そして10月。注目の4冠が懸かった「日本プロ」(静岡・川奈ホテルGC富士コース)は、36ホールストロークプレーの予選ラウンドを宮本が1位、戸田が2位で通過。16人が進出したマッチプレーでも2人は順当に勝ち進み、36ホールの決勝戦は宿命の対決となった。

試合は3アップとリードした戸田が、34ホール目の名物パー3、16番(現在の17番)の1打目を右崖下に落とす大ピンチ。バーディチャンスにつけた宮本が巻き返すかに見えたが、戸田がナイスリカバリーを見せてパーでしのぐ。一方の宮本はチャンスを外し、戸田が3アンド2で初の年間グランドスラムを達成した。

ツアー初の年間4冠 “新グランドスラム”

1975年、村上隆が日本で2人目の年間グランドスラマーとなった。73年にツアー制度を導入して以降は“日本タイトル”が4大大会を示す象徴となり、男子ゴルフは新たな時代に入ったばかりだった。

1975年5月に「日本プロゴルフマッチプレー選手権」(神奈川・戸塚)を制すと、9月の「日本オープン」(愛知・春日井CC)で2冠目。さらに10月「日本プロ」(岡山・倉敷CC)では山本善隆とのプレーオフにもつれ込むと、3ホールストロークプレーの戦いを制して3冠目を手にした。そして迎えた「ゴルフ日本シリーズ」、島田幸作と金井清一を1打差で振り切り4冠を達成。賞金王も手にした。

新たな時代の息吹だった。テレビ報道は「日本4冠」と声を高め、スポーツ紙に活字が躍った。「日本」と冠の付いた、“新グランドスラム”の誕生だった。

日本タイトルをうたう4大会は、公認競技と呼ばれた他のスポンサー大会とは一線を画したビッグイベントだった。「日本プロゴルフマッチプレー」は、それまで関東・関西でそれぞれ開催した「関西オープン」、「関東オープン」、「関西プロ」、「関東プロ」を廃止して統合。全国規模の特色ある大会として、マッチプレーで争う公式戦に変わった。プロ120人が参加した記念すべき第1回大会で、村上は1、2回戦とも19ホールに及ぶ延長戦で安田春雄、謝敏男を破る。さらに、島田幸作、青木功を破り、決勝戦で鷹巣南雄を2アップで下して初代王者に。今に残る、日本タイトル4冠の偉業へ突き進んだのだった。

村上の快挙を引き出した「日本プロゴルフマッチプレー」は、2003年の第29回大会で幕を閉じ、日本タイトルの一翼は2000年から「日本ゴルフツアー選手権」に引き継がれている。出でよ、3人目のグランドスラマーと期待する。(武藤一彦)

武藤一彦(むとう・かずひこ)
1939年、東京都生まれ。ゴルフジャーナリスト。64年に報知新聞社に入社。日本ゴルフ協会広報委員会参与、日本プロゴルフ協会理事を経て、現在は日本エイジシュート・チャレンジ協会理事、夏泊ゴルフリンクス理事長を務める。ゴルフ評論家として活躍中。近著に「驚異のエージシューター田中菊雄の世界」(報知新聞社刊)など。

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