石川遼・キャリア最悪の1年と葛藤
石川遼・キャリア最悪の1年と葛藤
全4回でお届けするGDOの2016年末のスペシャル対談。
Round2は今年、キャリアでワーストといえる一年を過ごした石川遼に迫ります。アメリカPGAツアー参戦中の2月、腰椎を故障して戦線離脱。痛みを覚えたのは奇しくも松山英樹が優勝した大会でした。一方で治療とリハビリにいそしんだ期間には結婚して人生の新しいステージへ。日本ツアーでの復帰2戦目にいきなり優勝しカムバックをアピールしました。ふたりが共感するスイングの話はマニアックな感覚論へと突入していきます。
―2008年1月、16歳でプロ転向した石川選手。2017年はプロ10年目を迎えます。
松山:長いね…ほんとにスゴイ。
石川:もう中堅プレーヤーだ。
―2016年は腰痛の故障で約半年間、戦列を離れました。
石川:最初におかしいなと思ったのは1月末、英樹が優勝した「ウェイストマネジメントフェニックスオープン」でした。自分は初日に14番まで終わって3アンダー(暫定11位)とすごく良いプレーができたんです。
松山:日没でサスペンデッドになったんだ。
石川:そう。でも翌朝、起きたときには体が痛くて回らなかった。
松山:2日目の朝は寒かったね、たしか…。
石川:早朝の真っ暗な中で練習を始めたんだけど、全然良くならなくて。その日は、前の日までのスイングがまったくできなかった。ちょっと痛みをかばっていたところもあったと思う。結局、予選も落ちてしまって。
―離脱したのは翌週「AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ」の開幕直前でした。
石川:試合前の火曜日には岩田寛さんと一緒に練習ラウンドをする予定だったんです。でもドライビングレンジに行ったら、痛みでSWの50ydのショットでもバックスイングが上がらない。だからキャンセルさせてもらって…。コースを歩いてチェックしたんだけど、試合に間に合わなかった。でも、そこから1週間休めば、また戻れると思っていたんだよ。
松山:普段は痛くなかったの?
石川:日常生活で歩いたり、前屈するくらいなら少し痛い程度だった。毎朝「あ、きょうは良くなっているかも」と思って期待するくらいだったんだけど、シャドースイングで体を捻ると、“何か”にすごくブロックされている、というか…。
松山:筋肉が動かないというか、太い“かたまり”があるというか。
石川:そうそう。何かが“噛んじゃっている”というか。
松山:分かる、それ分かるよ。おれは遼ほど長引いたことはないけど、分かる。おれは背中(の故障)が長かったからね。イヤだね、あの感覚は(松山は日本ツアーで賞金王になった2013年の後半戦で背筋痛に苦しんだ)。
石川:それが2週間経っても治らない。「これは日本で検査したほうがいい」と思って帰った。戻ってくるまで思いのほか長くなってしまったな(診断結果は腰椎椎間板症だった)。
―石川選手の故障期間中、松山選手とは連絡を取り合っていました
松山:痛みは僕も分かるんです。背中のケガがあったから。でも、(石川は)オーガスタ(4月のマスターズ)の前くらいには戻ってくるかな、もしくは、そのすぐあとの試合には戻ってきて、復帰してどうなるか…という感じかと思っていたんだけど。それが、なかなか帰ってこないから、「まだ、治ってないの?大丈夫なの?」って心配でした。
石川:ワールドカップの件も、1月の「ファーマーズインシュランスオープン」の時に話したんだよね。サンディエゴ(カリフォルニア州)で。
松山:そうそう。今年はフォーマットが団体戦に変わったのを、おれは去年の年末に知ったんだ。今年遼と初めて会ったのがサンディエゴだったからね。「フォーマットが変わったから、遼はどう?」って初めて話をした。そしたらその次の週にケガしちゃって。まあ11月だから、大丈夫でしょって思っていたんだけど…5カ月以上休んだときにはさすがに「大丈夫か?」と不安にはなった(笑)
石川:おれもね(笑)
松山:でも逆に言ったら、遼はいままでずっと休んだことがなかったわけだから。日本でもアメリカでも。だから「逆にいいんじゃねえかな?」って思った。それだけ休んだら、また何かが変わるかもしれないと。ましてや結婚もした。逆に(夫婦にとって)良い時間なんじゃないかって。1シーズン(2015―16年)しっかり休んでいいと思った。新しいシーズンが始まる10月から出ればいいと。ワールドカップのこともあったけど、リフレッシュしてくれればいいと思っていた。
―石川選手は7月の国内ツアー「日本プロゴルフ選手権 日清カップ」でカムバック。同大会は予選落ちしましたが、復帰2戦目の「RIZAP KBCオーガスタ」で優勝しました。
石川:やっぱり、休んだことで体型も、筋肉の付き方も変わった気がしました。最初はクラブもすごく重く感じて。日本プロの練習ラウンドは、3Iで190ydくらいしかキャリーしてなかった(普段はキャリーで約220yd)。『どんだけ、(患部を)かばって打ってるんだ』って感じだった。
松山:戻ってすぐは怖いよね。
石川:とはいえ、試合になると230yd残ったら3Iを持っちゃうんだよね。練習場でキャリーが190ydしか出ていなくても、自分の感覚があるから。220ydキャリーすると思っている。(ランで10yd)絶対に届かないんだけどさ。でも、それで振ったときに、痛くなかったんだよね。そこで「あ、良くなった」と思って。そこからKBCオーガスタまでの1カ月くらいは本当に良い練習ができたんだ。
松山:優勝するのはどこであってもスゴイことだと思う。
石川:実は今年の初めは良いスイングができている実感があったんだ。腰を痛めたフェニックスオープンの初日のゴルフは、PGAツアーの中で自分のベストゴルフだったと思う。苦手な「ソニーオープンinハワイ」でも予選を初めて通って。今年は自分のゴルフにすごく集中できている感じがあった。その前までは、構えると“いろんな球”が頭の中に見えちゃってたんだけど…。あのさ、理想の球ってあるじゃん?おれは5ydくらい、曲がって戻ってくるドローボールが基本的には理想なんだけど…。英樹はティグラウンドで「こう打ちたい」っていうときに、それだけを意識しているの?
松山:最近の調子では、球が右か左かどっちに出るか分かんないから。「理想のスイングができたら、左フェアウェイ、できなかったら右フェアウェイ」って感じ。それが「ひどくなりすぎたらラフに入る」くらいの感じ。
石川:バックスイングを上げたときに「あっちに飛んでいきそうだ…」とか考えることはない?
松山:あるあるある!特におれは(バックスイングが)ゆっくりだから。クラブを上げて、「ヤベエ!こっちに入っちゃった!」ってとき(切り返しで体が思わぬ方向に動いたと思ったとき)には手をクラブから離す。
石川:なるほどね…やっぱり英樹はスイングも、考え方もシンプルな気がするな。その腕の通り(バックスイングの体の動き)だけで打球を判断できるんだから。おれの場合はさ、ほんとに体が止まっちゃうっていうか…何が怖いのか分からないんだけど、スイング中に色んなことを考えて、体が止まって、もうその場で跳ねるしかなくなる、というのが悪い癖なんだ。でもそれって、自分が打っていく球筋に対して“保険”をかけちゃってるんだと思う。「ここを狙っていく」と思いつつ、瞬間的に「もうちょっと余計に回転かけよう」とかしたり。
松山:あるよね、それは(笑)。おれもあるよ。
石川:いや、もうさ!“あるある”とかのレベルじゃなくて、おれの場合もう、すごく多いんだよ!(笑)でも、それが少なかったのが今年の初めだった。去年の日本シリーズくらいから良い感じだったんだけど…。
―石川選手は今年3月、かねて交際していた中学校の同級生と結婚しました。
松山:ドラール(WGCキャデラック選手権)のときに聞いたんですよ。テキストメッセージで。
石川:英樹は結婚した後すぐに報告した、数少ない人のひとりです。
松山:うれしいっす。プロアマ戦で、ほんとに1番スタートに出る直前に知った。「ええええ!?」みたいな。
石川:やっぱりメディアを通してお知らせするのとは違う。失礼にもあたるから。できるだけ早く報告したかった。
松山:おれのときは極秘で。結婚しても、しばらく内緒でいきます(笑)
石川:自分では、結婚したことが(世間の)ニュースになるとは思ってなかったんだけどな…
松山:いや、なるでしょ。ならないとおかしいでしょ!
―結婚生活で変わったことはありますか?
石川:いまは(夫人と)ふたりで住んでいます。
松山:いいなあ(笑)
石川:おれ、日本では英樹みたいにひとり暮らしをしたこと、家を離れて住んだ経験がなかった(松山は明徳義塾中高、東北福祉大で寮生活)。帰るところはいつも実家だったからね。ごはんは母や祖母が作ってくれていた。だからいま、新鮮は新鮮です。
松山:おれは外食しかしたことがなかったよ。
―ラウンドのときも結婚指輪をしています
石川:プレー中につけてやってみて、ちょっとでも違和感があったらやめようって思ってたんですけどね。握り方がハマったのか、気にならないので、しています。
松山:時計もね、おれも意外と気にならなくなるかもしれない。プレー中につけるのは、絶対に無理だと思っていたんだけど。前に、練習場で無意識にしていたことがあった。大きさによっては、意外と平気かも。
石川:そういえば、あの左手のテーピングはいつもするの?
松山:調子が悪いときだけね。アメリカに行って、去年くらいまではずっとつけていた。
石川:実際、手首のどの部分が痛いわけ?
松山:もうバラバラ。この前、「三井住友VISA太平洋マスターズ」の時ときもまた違うし。去年のリビエラ(2015年2月ノーザントラストオープン)も別のところだった。実はそのあと、マスターズの前に日本に帰って治療してたんだ。誰も知らないけど。手首自体のつくりが弱いと、そうなりやすいみたい。トレーニングもしなきゃいけないんだ。でも、飯田さん(飯田光輝トレーナー)がやってくれているから本当に助かっている。
石川:おれはいままで手首は痛めたことがないんだよね…
松山:なんなら、いまはちょっと右手首が痛いから。パターで痛めた。
石川:ええ?あ、それ絶対(パッティングの時の構えを)アップライトにしたからだよ。
松山:そう。上海(HSBCチャンピオンズ)の時にね。でもショットのときは平気だったんだ。
石川:まあ、結婚生活といっても、考えることは試合のことばかり。子供がいるかどうかで、全然違うでしょう。
松山:結婚か…しなさそう、おれ(笑)
石川:うーん………しなさそうだね!(笑)。英樹がお父さんになっているのは、イメージできるんだけどな。
松山:知り合いがたくさん結婚し始めていて。「養ってくれ」って言われる。子供たちに「パパ、パパ」って言われても、違和感ないけど。
―石川選手は離脱中に交友関係が広がりました
石川:地元・埼玉のサッカー選手となんかは、連絡を取って、一緒にゴルフをしたりしています。刺激はやっぱりある。英樹は野球選手の知り合いが多い?
松山:大学の先輩もいるからね。
石川:他のスポーツでも、結局は頭の良い人が上にいるもんだなって思った。もちろん、英樹もそうだし。考えて、練って、答えを導いて。大きな木が削られて、シンプルになった美しさみたいなものを、そういう人には感じる。“一番の理想”があって「それができないなら、しょうがない」という考え方のシンプルさを感じる。他のスポーツ選手も、ただ、サッカーがうまい、野球がうまいってことじゃないんだろうなって思った。サッカー脳、野球脳、ゴルフ脳もある。おれは、ゴルフのことならいくらでも考えていられるんだけど。
松山:そこが、好きか嫌いかなんだと思うんだよ。考えることが嫌いな人は、どの世界でも絶対無理。おれたちはゴルフが好きだから、ずっと考えられる部分はある。
石川:今年、弟(航さん/高校2年生)とゴルフをする機会が何回かあって。不満に思うこともあったんだ。おれも、ほんとに何にも考えないでゴルフやってたけど「さすがにそれくらいは考えてた、分かってたぞ」なんてね。まあ、父には「お前が高2の頃はそんなに頭良くなかったぞ」って言われるんだけども…
松山:逆に高2の時の自分にしかないものがあるからね。それを忘れないことも大事だよ。忘れないから、いろいろ蓄積して、より上のレベルなった今だから、そうも感じる。後輩に『なんでこれができないの?』ってね。大切なのは、とにかく考え続けることだと思う。
今回までの2回でそれぞれの2016年を振り返ってもらいました。Round3ではさらに過去に遡ります。ジュニア時代に彗星のごとくツアーに誕生した石川遼というスター。それをメディア越しに眺めていた松山英樹は、数年後に世界を圧巻する存在になりました。彼らの激動の時代、互いに抱えていた思いを語ります。
聞き手・構成/桂川洋一
撮影/田辺安啓(JJ)
1992/02/25 愛媛県生まれ
4歳でゴルフを始め、中学2年で愛媛から高知・明徳義塾中に転入。明徳義塾高を経て東北福祉大に進学する。2011年の「マスターズ」でローアマチュアに輝き、プロ転向1年目の13年に日本ツアー賞金王戴冠。14年の「ザ・メモリアルトーナメント」で日本人史上4人目の米ツアー初勝利を飾った。日本ツアー8勝、米ツアー3勝。
1991/09/17 埼玉県生まれ
東京・杉並学院高入学直後の2007年5月、日本ツアー「マンシングウェアオープンKSBカップ」を制し、15歳245日の史上最年少優勝記録を樹立。“ハニカミ王子”旋風は社会現象になった。現役高校生プロとして09年に日本ツアー最年少となる18歳で賞金王を戴冠。13年に主戦場を米ツアーに移した。日本ツアー14勝。