【WORLD】全米オープンの価値って?/USGD読者意識調査
2012年 全米オープン
期間:06/14〜06/17 場所:オリンピッククラブ(カリフォルニア州)
【WORLD】公平さの限界/98年全米オープン オリンピッククラブ18番グリーンの舞台裏
US Golf Digest (2012年6月号) texted by Ron Whitten
第1ラウンドの後、18番のカップをより斜度の緩やかなグリーン手前3分の1のエリアに、全4ラウンドにわたって設置するべきか、議論となった。USGAは週末のプレーのために、そのエリアの芝生を台なしにはしたくなかった。当時USGAでトーナメント農学を担当していたティム・モラハンは、ミークスに左後方の場所が使えるかどうか測定するよう説得した。結局、オリンピックが舞台となった1987年の全米オープンから1993年のツアーチャンピオンシップまで、カップはグリーン左後方に切られてきた。
だが、当時USGAのエクゼクティブディレクターだったデビッド・フェイは、「1987年当時、あのロケーションは大きな賭けだった。ツアーチャンピオンシップの開催時には、それに伴う問題も発生した」と認めている。そして何年も後にミークスは、1987年にボートライトが左後方にカップを切ったが、“かろうじてやり過ごせた”と回想している。
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1998年、モラハンは金曜日の朝にグリーンをダブルカットせず、転がらないようにセッティングするよう勧めた。プレーの前にグリーンに水を撒くクルーを常駐させもした。勾配が7%もある急斜面(100フィート=約30.5mにつき7フィート=約2.1m降下する)でも、終日パット可能な状態であることを願いながら。
しかし、願いは叶わなかった。理由の一つは、芝がポアナであったこと。時間が経つにつれ、しばしばしなびてしまう種類のものだったからだ。翌日、フェイはNBCのテレビ放送に登場。「私たちの手に負えないことだ。1つには、私たちが構成要素に飲まれてしまったこともある。太陽が照りつける。風も吹きはじめて、ただ難しすぎる状態になってしまったのだ」。
ミークスはこう話す。「最初のグループがやってきた時に、これは厄介なことになったとわかったよ」。モラハンは、スチュワートがグリーンに向けてショットを放つ姿を見ていたことを思い出す。ボールは右ピンハイに落下した。「彼は間違った場所に打ち込んだ」とモラハンは言う。18番ホールの後ろにある塔にいたジョニー・ミラーは、同じことを言った。「プレーを見ながら、もし彼があのパットを決めなければ、現実に起きた状況が起こりそうだということはわかっていたよ」。
スチュワートは3パットし、リードはわずか1打となった。日曜日の序盤には、リー・ジャンセンに7打差をつけていたが、最終的には1打差でジャンセンに負けた。
スチュワートがホールアウトした約1時間後、予選落ちしたシャンブリーはホテルに戻り、親友のカーク・トリプレットがどうやってホールアウトするのかを見るため、テレビをつけた。「18番で上りのパットをするカークの姿を見ていたことを覚えているよ」とシャンブリーは言う。「すると、ボールが転がり落ちてきた。カークはナンセンスな部分がまったくない男だが、自分のパターをつかむと、ボールがそれ以上転がりつづけないようにするため、地面に叩きつけてしまったんだ。あれは今まで見た中でも最高におもしろい、それでいて最高に賢い方法だと思ったね。だって、カップの位置自体がバカバカしかったし、そこで起きていることがバカバカしかった。カークはそれを証明するため、あるいは純粋なフラストレーションから、あんな行動を取ったんだ」。
「フラストレーションの溜まる1日に起きた最後のフラストレーションだったんだ」とトリプレットは言う。そして、彼は2打のペナルティーを受けたが、USGAはカークが予選落ちしなければ、深刻なルール違反として失格処分にしていたという。
「とにかく、間違いなく災難だった」と、シャンブリーはまとめる。「昔のグリーンの状態は、現在の農学では考えられないようなものだったんだ。あんなことが起きたことは残念だ。ホールのせいで、ペイン・スチュワートは全米オープン優勝を逃したのかもしれない」。
この余波の中で、ミークスは批判に悩まされた。見出しの1つには、彼を“芝生侯爵”と呼ぶものまであった。「そのことで、毎晩悪夢に悩まされることはない」と、現在のミークスは言う。「だが、決して忘れることはないだろう。少し疑念を抱いていたホールロケーションを選んだ。不本意ながらもね。大きな教訓となったよ。あの全米オープンのあと、私はペイン・スチュワートとトム・レーマンの両者に謝罪したんだが、本当に快い対応をしてくれた。トムは、『これで用心深くなるなよ』と言ってくれた。とても気品のある言葉だと思ったよ」。
「コースのセットアップに関しては、誰もが失敗をする」と言うのは、2006年にミークスの役目を引き継ぎ、フェイの後継USGAエクゼクティブディレクターとして、全米オープンのセットアップを指揮しつづけるマイク・デービスだ。「何度もミスを重ねずにセットアップしたトーナメントなんてない。時には大自然に惑わされるし、期待していなかったことが起こることもあるし、期待していたことが起こらないこともある。1998年、トムは72ホール中71ホールで正しくカップを切ったのに、そのことを誰も称賛することはなかった。正しくなかった1つのホールのために、永遠にそのミスと付き合っていかなければならないんだ」。