PGAツアーを発展させたリーダーたち/ゴルフ昔ばなし
PGAツアーだって苦労した…日本ツアーに存在しない“演出家”/ゴルフ昔ばなし
2018/05/24 07:42
松山英樹と小平智が主戦場にするPGAツアーは、いまや世界最高レベルの選手たちが集う屈強のプロゴルフツアーとして知られています。しかし前身のPGA(全米プロゴルフ協会)時代など創成期は必ずしもそうではありませんでした。ゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏による対談連載は、今回が“PGAツアー編”の最後。そして日本ツアーにも目を向けます。
■ 映画俳優の力を借りたプロゴルフツアー
―毎年秋に開幕する現在のPGAツアーは、春からの4大メジャーを経て、晩夏のフェデックスカッププレーオフでシーズンを終えます。毎年1シーズンで40試合以上が行われ、各大会の優勝賞金は1億円以上。最近は「チューリッヒクラシック」でダブルスマッチが復活するなど、個性豊かなトーナメントがいくつもあります。
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三田村 僕はペブルビーチ(AT&Tペブルビーチナショナルプロアマ)が好きだった。プロゴルファーとアマチュアが一緒に回る競技。今、スケジュールにある中ではボブ・ホープ(キャリアビルダーチャレンジ)もそうだね。アメリカのツアーは昔から芸能人なんかを巻き込むのが非常にうまい。ペブルビーチはもともと、歌手・俳優だったビング・クロスビー(1903―1977年)が主導したプロアマ大会だった(1985年まで大会名にクロスビーの冠がついていた)。
宮本 前身のPGA(全米プロゴルフ協会)ができたのは1916年。その後、1929年にツアー部門ができる(1968年にPGAから現行のPGAツアーとして独立)。ただ、最初の頃のプロゴルフは人気がなかった。だからクロスビーをはじめ、ボブ・ホープ、ウォルト・ディズニーなんかの力を借りて、注目度を高めていった。最初は一人歩きできず、映画俳優をはじめとした違う分野の有名人がプロゴルフをサポートしてくれたんだ。その後、テレビ時代になってようやくアーノルド・パーマーを中心としたスター選手がスポットライトを浴びるようになった。
三田村 俳優、コメディアンだったボブ・ホープ(1903―2003年)が中心となった大会の会場は、カリフォルニア州のパームスプリングス、パームデザートにある。当地はもともと、ホープらハリウッドで活躍する映画俳優たちの邸宅や別荘が多くあった。当地をいかに新興の避寒地、リゾート地として定着させるかということを考えた人々によって1960年に「パームスプリングス・デザートゴルフクラシック」が始まった。すると1963年にはトロイ・ドナヒュー(1936―2001年)が演じた映画「パームスプリングスの週末」が公開された。彼が歌った「恋のパームスプリングス」という歌もヒットし、この地域を一躍多くの人が知るところとなった。アメリカの地域密着の大会は、多くの人が協力して、それぞれの価値を高める “立体的なプロモーション”が実にうまい。
■ 日本ツアーに欠けているもの
―現在では世界最高峰となったPGAツアーですが、過去には日本の男子ツアーの大会にも同じくらいの賞金額がかかっていました。ところがバブル崩壊後にその差は大きく広がっていきます。日本の大会についてはどんな問題点が挙げられるでしょうか。
三田村 日本はこの期間、“トーナメントの形”を変えていない。大会を開くためのお金のつくり方が、40年以上変わっていないように思う。世界のゴルフトーナメントの創成期に流れに乗り、日本でもゴルフツアーの形を作ったことはすばらしい。ただ、進化していない。PGAでも映画俳優をはじめとしたスポンサー優遇の時代、コースに入るギャラリーを冷遇していた時代があった。ただ、いまはそうではない。今年の「マスターズ」でも強く思ったが、オーガスタナショナルGCはパトロンにバックヤードを見せない。食事代なんかも安く抑えられて、パトロンが選手たちを見やすいように誘導する。最近は入り口からコースに出るまでの道がどんどん整備されて、美しくなっている。
宮本 最近のPGAツアーではギャラリー整理のためのロープの張り方が変わってきた。グリーン周りでは以前よりも低いところ、ひざの高さに満たないところにある試合が出てきた。それだけのことで、持ち込んだ椅子に座るギャラリーは視界を邪魔されない。彼らは選手たちを、コースをきれいに見せるためにどうすべきかを常に考えている。カメラマンにとっても、ロープが低い位置にあるとキレイな写真が撮れるものだよ。僕たちの仕事は選手をカッコよく、ゴルフ場をキレイに見せることなんだ。
■ タクさん、ゴルフ場撮影の“とっておきの方法”を教えて!
三田村 ゴルフ場を美しく見せる、という点では、マスターズが本当にいい例だ。週末の最終組は午後3時半にスタートする。前半9ホールを2時間で回り、後半に入ってアーメンコーナー(11番から13番ホール)を回る頃、日が傾いて光と影でコースが本当にキレイになる。そこを優勝争いする選手たちが歩いていくんだ。でも日本ではどうだろう。多くの試合は3時前後には優勝者が決まっている。一番美しいコースでプレーするのは、ゴルフ場の研修生たちだ(笑)。昔、日本のプロから「夕方にプレーしたら、その日のうちに帰れないじゃないか!」というクレームがあったというんだから驚きだ。一方で、早い時間に試合を終えるのは、民放テレビ局主導の時間設定という問題もある。生放送でのリスクを考え、録画放送にしている試合がまだ多い。
宮本 夕方のゴルフ場は、コースが一番輝く時だよ。その意味で僕の仕事はやりやすい。「宮本さんのコースの写真は何でこんなにキレイなの?」と言われることがあるが、答えは簡単。その時間に誰もいないから(笑)。コースがキレイな早朝と夕方に普通にシャッターを押しているだけ(編集部注:そんなことはない)。光と影のコントラストが出ると、グリーンのアンジュレーションもよく見えるようになる。それだけで選手がいかに難しいところでプレーしているかも分かるよね。
三田村 日本の多くのテレビ中継は結局、ゴルフ場が一番キレイな時にプレーしている選手を見せていないんだ。日本ツアーには長く「ファンのための演出家」がいない。ツアーは“つつがなく試合を終わらせること”に力を尽くしてきた。ギャラリーファーストの演出を最初に考えたら、トーナメントのつくり方、テレビ放送のあり方についても違う考え方があるはずだ。
- 三田村昌鳳 SHOHO MITAMURA
- 1949年、神奈川県生まれ。70年代から世界のプロゴルフを取材し、週刊アサヒゴルフの副編集長を経て、77年にスポーツ編集プロダクション・S&Aプランニングを設立。80年には高校時代の同級生だったノンフィクション作家・山際淳司氏と文藝春秋のスポーツ総合誌「Sports Graphic Number」の創刊に携わる。95年に米スポーツライター・ホールオブフェイム、96年第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト賞優秀記事賞受賞。主な著者に「タイガー・ウッズ 伝説の序章」(翻訳)、「伝説創生 タイガー・ウッズ神童の旅立ち」など。日本ゴルフ協会(JGA)のオフィシャルライターなども務める傍ら、逗子・法勝寺の住職も務めている。通称はミタさん。
- 宮本卓 TAKU MIYAMOTO
- 1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、メジャー大会取材だけでも100試合を数える。世界のゴルフ場の撮影にも力を入れており、2002年からPebble Beach Golf Links、2010年よりRiviera Country Club、2013年より我孫子ゴルフ倶楽部でそれぞれライセンス・フォトグラファーを務める。また、写真集に「美しきゴルフコースへの旅」「Dream of Riviera」、作家・伊集院静氏との共著で「夢のゴルフコースへ」シリーズ(小学館文庫)などがある。全米ゴルフ記者協会会員、世界ゴルフ殿堂選考委員。通称はタクさん。
「旅する写心」