松山英樹単独会見(1)「おれの資格はどこへ?」JGTOへの困惑
「早いと思わなかった」米1年目で初優勝 松山英樹に見えた光景
<2014年末・松山英樹単独会見(2)周囲の評価と自己分析のギャップ>
2014年6月1日、オハイオ州ミュアフィールドビレッジGCで行われた「ザ・メモリアルトーナメント」で、米国男子ツアー(PGATOUR)初優勝を飾った松山英樹。1年の間に募った思いをGDOの単独インタビューで吐露していく中では、冷静な自己分析と深まる先人たちへの畏敬が数多くの言葉となってあふれ出した。全3回の連載で送る第2回のテーマは、初優勝と2014年への自己評価、PGAツアーを戦う中で目をひく選手、そして相次いだルールトラブルについて、いま松山がどう考えているか――。
10月に開幕した2014-15年シーズンをすでに4戦し、本格参戦2年目に入った。松山は、次戦まで試合間隔が約1カ月空いた12月の某日、単独インタビューに応じると、日々湧き上がる思いを明かした。
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ジャック・ニクラスのホスト試合、強豪選手がこぞって出場する「ザ・メモリアルトーナメント」で、若くして手にした1勝により、米国のゴルフ界からも新世代のスターとして位置づけられるようになった。ツアーメンバーとして1年目での初優勝。だが、それを「早い」と称賛する世間の見方と、自己評価にはギャップもあった。
「なんかね、微妙…だったんですよね。自分では早いとも思わなかった。確かに時間が掛かった、とも思わなかったけど…。だって現に、カシオワールドオープン(13年11月末の日本ツアー)で優勝してから、7カ月後なんですよ。そう考えたら遅いですよね」――
松山の口からは、かつて同じ米国で夢を見た先輩プロの名前がよどみなくあふれ出る。
「青木功さん、ジャンボ(尾崎将司)さん、中嶋常幸さん、丸山茂樹さん、今田竜二さん…すごいと思わない選手はいません。伊澤利光さんしかり。伊澤さんのマスターズでの活躍も小さい頃にテレビで見て、よく覚えている」
日本人史上最年少・22歳での米ツアー制覇をはじめ、彼の地での活躍の圧倒的なスピード感でいえば、彼らを凌駕しているといっていい。それでもなお、無我夢中で先人たちと同じ場所へたどり着いた今、初めて見えてきた光景があるのだろう。
今年2月の「ウェイストマネジメント フェニックスオープン」で、松山は早々に優勝争いに加わった。終盤のミスで惜敗したが、ひとつのターニングポイントとなった。
「負けた悔しさはすぐに消化できましたね。あの頃は手(左手首の怪我)が一時期、良い状態になりつつあったけれど、まだそこまで“ガチで”自分を追い込める状態ではなかった。練習も十分にできていなかった。でも、それで優勝争いができるんやったら、状態が整えば勝てるのでは? という感じでやれるようになった。自信がついた…というか。普通にちゃんと、自分の持っているものを出し切ることができれば、勝てる。そう見えたかな」
その言葉は4カ月後、現実になった。
松山にとっては、学生時代の試合であろうが、日本ツアーであろうが、メジャーであろうが、獰猛に勝利を求める姿勢は変わらない。勝負ごとにおいては「勝つ」「負ける」の2つしかない、という価値観。用意された舞台、それで得られる賞金や名誉はまた別次元の問題だ。
「もちろん、ツアーやコースが違うという考えもあるかもしれないけれど、アメリカでも『ゴルフをやる』ということは変わらないんですよ。フィールドが“ちょっと厚くなっただけ”」
果たして、日本から海を渡った尊敬すべき先人たちも同じような考えでプレーしていたのだろうか? アスリートの金言に思わず唸ることは何度もあるが、言葉を失う経験はそうあるものではない。