ジャック・ニクラス インタビュー オークモントよもやま話(中)
2016年 全米オープン
期間:06/16〜06/19 場所:オークモントCC(ペンシルベニア州)
ジャック・ニクラス インタビュー オークモントよもやま話(下)
米国Golf Digest誌6月号 2016 全米オープン特集
◆「実際は2打差で勝ったような感じだった」
私はプレーオフを制した。序盤にリードを奪うと、バックナインに入ってアーノルドも盛り返したが、私は何とかリードを守り切ることができた。プレーオフのスコアは、アーノルドが「74」、そして私が「71」だったが、実際はスコア以上に接戦だった。私は2打差をつけて最終ホールを迎え、私が60cmのウィニングパットを残していた状況で、アーノルドはパーパットを外すと、残りのボギーパットを片手で打って外し、ダブルボギーとしたのだ。それで、3打差での勝利となったわけだが、実際は2打差で勝利したような感じだった。
◆「アーノルドはあの大会をやり直したいはずだ」
アーノルドは、あの週、10回以上3パットがあったのだから、恐らくもう一度あの大会をやり直したいと思っていることだろう。我々には誰にもそういう大会があるのだよ。私にも、やり直して一向に構わない「全米オープン」が幾つかある。まずは1971年のメリオンだ。私がリー・トレビノとのプレーオフで、初めの3ホール中2ホールでバンカーに入れてしまった大会だね。1982年のペブルビーチもあったね。あそこではワトソンが17番ホールでチップインを決めて私を負かしたんだ。あれはやり直したい大会だね。そうなれば、トムにあのチップショットを再トライさせることができるのだから。それに、彼が最終ホールで決めた7mのパットもそうだったが、あれも入っていなければ1m以上オーバーしていたはずだよ。
◆「くわえタバコでタップインをした。最悪の見本」
1962年12月10日、私はUSGA公式の「全米オープン」のフィルムを受け取った。そこには私がプレーオフの13番ホールでパットするシーンがあった。私はパットを外すと、煙草を取り出してくわえたんだ。くわえ煙草でタップインする私の姿が映っていたのだよ。酷いものだと思ったね。それまで見たなかで、若者にとってのロールモデルとして最悪の手本だった。それ以来、ゴルフコースで煙草を吸ったことは一度もないんだ。実のところ、私は自分とアーノルドが契約を結んでいたタバコ会社のL&Mに電話し、その場で契約を解除したのだ。彼らにお金を戻してね。完全に禁煙したのは何年も先の話だが、ゴルフコースでとなると、それが最後だった。
◆「私にだって、ダメな週はたくさんあった」
私だって「全米オープン」で毎回ホームランを打っていたわけではないのだ。1964年のコングレッショナル。1965年のベルリーブ。それに、ヘーゼルティン、チャンピオンズ、サザンヒルズなど、とにかく駄目な週もあったんだ。それには1973年のオークモントも含まれるね。たくさんラフに打ち込んだ記憶が残っているよ。長いラフからは、たとえ何度かあったとしても、ほとんどグリーンを捉えることができなかった。
◆「勝って変わること、変わらないこと」
あの優勝で多くのことが変わったけれど、すべてが変わったわけではなかったし、瞬時に変わったわけでもなかった。バーバラと私は、引き続きジャッキーを後ろに載せて、次の大会へ車で移動していた。移動のたびに荷造りしていたおむつの手桶は悪夢だったね。1964年のフェニックスオープンに勝ったとき、祝勝会をやらないかと誘われたのだが、バーバラは、「ごめんなさいね、でも私たち、これからコインランドリーに行かなきゃならないの」と答えたんだ。1時間後、私はコインランドリーに座り、バーバラがジャッキーのおむつを洗っている間、新聞を読んでいたというわけさ。