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1955年の全米オープン覇者ジャック・フレックが死去

2014/03/22 11:48


1955年の全米オープンのプレーオフでベン・ホーガンを下し、優勝したことで知られるジャック・フレックが3月21日、老衰のため亡くなった。享年92。

1921年11月7日に生まれたフレックは、米アイオワ州ベッテンドルフで子供時代を過ごし、同州ダヴェンポート高校を卒業。高校ではゴルフチームでプレーし、キャディも務めた。

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1955年の全米オープン出場権を手にした当時はほとんど無名だったフレック。同大会は彼にとって2度目の全米オープンで、3度目のメジャー大会だった。サンフランシスコのオリンピッククラブでの同大会初日は、6オーバーの「76」を記録。最終日になっても、首位のベン・ホーガンとは3打差があった。だが最終日のラウンドで3アンダーの「67」を記録し、ホーガンとのプレーオフに持ち込むことに成功。フレックは翌日、18ホールのプレーオフで「69」をマークし、メジャー大会唯一の勝利を手にした。

「ジャックは偉大なプレーヤーだった。その伝説的ともいえるやり方で、ゴルフの大会史に残るトーナメントの1つを制したんだから。彼は現役の間ずっと、全米オープン覇者の理想というものを具現化していた。それにチャンピオンズツアーの初期には重要な役割を果たしてくれた。我々はその恩恵にあずかっている」と、PGAツアーコミッショナーのティム・フィンチェムはコメントしている。

全米オープン優勝後も、PGAツアーでプレーを続けたフレック。彼は1960年の「フェニックスオープンインビテーショナル(現在のウェイストマネジメント フェニックスオープン)」と1961年の「ベーカーズフィールドオープンインビテーショナル」でも優勝した。これらのPGAツアー3勝は、すべてプレーオフでつかんだものだ。そのほか、PGAツアー全体では2位が5回、3位が6回という成績を残している。

チャンピオンズツアーが行なわれる前の1979年、フレックは「全米シニアプロ選手権」で優勝。こちらもボブ・エリクソンやビル・ジョンストンとのプレーオフの末、勝利を手にした。1995年の「リバティ・ミューチュアル・レジェンズ・オブ・ゴルフ」ではトミー・ボルトと組み、デマレット・ディビジョンで優勝した。

フレックは第二次世界大戦中に米海軍に入隊し、ユタビーチでイギリスのロケット発射船に乗りノルマンディー上陸作戦に加わった。軍務を離れてから2週間後、彼は1949年のPGAツアーのウィンターツアーに出場した。

1980年から1991年まではチャンピオンズツアーにフル出場し、その後は主にゴルフの指導やゴルフコースの設計、また自ら設計した米アーカンソー州のゴルフコース、リル・ビット・オブ・ヘブンの運営に専念していた。

氏には妻のカルメンさんに息子のクレイグさん、孫娘のジェニファーさんとひ孫娘のレキシーさんがいる。

葬儀は3月25日(火)14時から、アーカンソー州フォートスミスのファースト・ユナイテッド・メソジスト教会にて行なわれる予定。

情報提供:PGA TOUR

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