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【WORLD】オズの魔法使い/米国圧勝 <1> 「ザ・プレジデンツカップ」レビュー

Golf World(2011年11月28日号)by Ron Sirak

1994年に「ザ・プレジデンツ・カップ」が初開催された時、この大会を創設する意義については、いろいろな思いが込められ、かなり壮大なものもあった。一方で「ライダー・カップ」は、1985年にヨーロッパ選抜が勝ち始めてから人気、採算ともに大幅アップ。1991年にキアワ・アイランドで行われた“岸辺の戦い”ではメディアでも大きく取り上げられるようになった。PGAツアーに参加するゴルファーがライダー・カップに出場すると、その収益は全米プロゴルフ協会(The PGA of America)に渡る。そこで、PGAツアーは似た形式のイベントを開催したいと思うようになったのだ。

1994年全米オープン優勝のアーニー・エルスは南アフリカ共和国、同年の全英オープンと全米プロゴルフ選手権の2冠を取ったニック・プライスはジンバブエ、ゴルフ界でも屈指の人気を誇るグレッグ・ノーマンはオーストラリアと、トッププレーヤーの多くは、ライダー・カップに参加できない国の出身となっており、だからこそ、この大会に参加できない国を含めたチームイベントの開催は名案を超えて、必要不可欠になった。加えて、1994年にはノーマンが世界ツアーの創設を提案していた経緯がある。ゴルフが世界に拡大しつつある状況を、認識してもらう必要があったのだ。

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あれから17年。プレジデンツカップはPGAツアー版のライダー・カップとなったが、まだ1985年以前のライダー・カップの状態にある。つまり、極端に一方的なのだ。ライダー・カップでは、何十年にもわたり、アメリカがイギリス・アイルランドチームを圧倒し続けたため、1979年にヨーロッパ大陸の国を加えるチーム拡大を余儀なくされた。すると、願ってもないことが起こった。アメリカが負け始めたのだ。1935年から1983年まで、アメリカは19勝1敗1分けの成績を誇り、本当のゴルフ通しかライダー・カップのことは気に掛けていなかった。1985年にヨーロッパ選抜が状況を打ち破る勝利を収めると、対戦成績はヨーロッパ選抜の8勝4敗1分けとなり、ゴルフをしない人までが注目するイベントとなったのだ。

「ライダー・カップはアメリカズ・カップみたいなものだった」。デービス・ラブIIIは、1870年から1983年までニューヨーク・ヨット・クラブが勝ち続けたヨットレースになぞらえる。「負けた途端に、アメリカ人の頭には2つの疑問が浮かんだ。アメリカズ・カップっていうのは何だ? どうしてアメリカが負けたんだ?」。あるイベントに真実味を持たせるためには、多少の謎が必要になる。

だが、プレジデンツカップに関する疑問は1つだけ。いつになったら世界選抜はまともな勝負ができるようになるんだ?なのだ。オーストラリアのロイヤル・メルボルンで開催された今年の大会で、アメリカは19-15でまた勝利し4連勝。9回の開催で7勝を挙げている。世界選抜は1998年にメルボルンで唯一の勝利を収め、2003年に南アフリカ共和国のファンコートで引き分けただけ。ここに改善されるべき問題がある。プレジデンツカップっていうのは何だ? どうしてアメリカが負けたんだ?とみんなに疑問を持たせるのだ。

ヨーロッパ大陸の選手をイギリスとアイルランドチームに加えたところ、ライダー・カップは均等な勝負になった。セベ・バレステロスホセ・マリア・オラサバルセルヒオ・ガルシアらスペイン勢と、ドイツのベルンハルト・ランガーが恐るべき戦力となった。だがプレジデンツカップは、ゴルフが桁外れに上手い宇宙人の存在でも見つからない限り、対戦フォーマットを変えるか、参加国内でより多くのタレントを育てるか、あるいはその両方か、何らかの改善策を講じなければならない。世界選抜には、もう誰も加わりようがないからだ。

プレジデンツカップには、結果を巡るドラマはないが、それ以外のすべてが揃っている。今回も、木曜日にタイガー・ウッズスティーブ・ストリッカーが、K.J.チョイアダム・スコットを相手にフォアサムを戦った時のこと、ファーストティーの前に、ウッズが偉そうな風体を見せる元キャディーのスティーブ・ウィリアムスとかわした握手は、新聞記者スタンリーが行方不明だった探検家リビングストンを発見した時以来の最も心待ちにされていた握手だった。しかも、ウッズとストリッカーは、7アンド6という大会史上最悪の大敗を喫したのだから、話はさらに旨みを増す。だが、それでもアメリカは初日を4-2のリードで終え、世界選抜はこの差を縮めることができなかった。

アメリカ選抜の1人としてウッズが存在すること自体が、好奇心をかき立てた。キャプテン推薦でウッズを指名したフレッド・カプルスは矢面に立たされた。とりわけ、世界選抜のキャプテンになるため、母国へ戻ったノーマンから手厳しく批判された。ウッズは、例の一件以来、この2年以上の間で最高のプレーを見せて答えた。だが、それでもノーマンは、自分だったらウッズではなくキーガン・ブラッドリーを選んでいたと話している。ノーマンとウッズの間に、近々友情が芽生えるとは思えない。

そして、舞台はロイヤル・メルボルンだ。幅広い称賛を浴びるこのゴルフコースは、その賛美すべてが正しいことを証明した。鮮やかにルートが決められ、優美にバンカーが置かれたアリスター・マッケンジーの設計は、ショートのパー3、ドライバーでグリーンに届くパー4、ツーオン可能なパー5が巧みに組み合わさり、エキサイティングなゴルフを提供してくれた。チャンピオンが持つ特性の1つは、プレッシャーの中でいい判断をする能力だ。ロイヤル・メルボルンでは、全ショットで最高の判断が求められる。大きな一発や無理矢理なショットは必要ない。
だからこそ、すべて揃っていた。結果をいぶかる気持ちはない。木曜日に4-2でリードしたアメリカ選抜は、金曜日は大荒れとなったフォーボールで3-3だったが、土曜日の朝に行われたフォアサムで再び4-1と圧勝した。土曜日のフォーボールでは、ハンター・メイハンがバーディを決めてジェイソン・デイを下し、メイハン&ビル・ハース組はデイ&アーロン・バデリー組に2アンド1で勝利。寒くて風の強い雨模様の中、世界選抜は闘志を見せて戦ったが、それでもフォーボールが終了した時点での結果は、13-9でアメリカがリードしていた。
プレジデンツカップでは、かつて最終日のシングルマッチで逆転勝利をもぎ取ったチームがない上に、38回開催されているライダー・カップでも、最終日に4ポイント差をひっくり返しての勝利は、わずか1度しかない。1999年にマサチューセッツ州ブルックラインにあるザ・カントリー・クラブが舞台となった時で、6-10と追いかける形で最終日シングルマッチを迎えたアメリカが、14.5ー13.5で勝利した。世界選抜には勝利の芽がなかったのだ。

シングルマッチで、世界選抜はわずかに差を詰めたものの14-12以上にはならず、この時ですらアメリカが勝利するには十分な試合数が残っていた。皮肉なことに、アメリカの優勝が確定したのは、ウッズがバデリーに4アンド3で勝利した瞬間だった。

米国ゴルフダイジェスト社提携
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