日本勢4人が同組で最後の練習ラウンド
2012年 全米オープン
期間:06/14〜06/17 場所:オリンピッククラブ(カリフォルニア州)
【WORLD】メジャーにドライバーは必要ないのか
Golf World (2012年6月11日号) texted by Goeff Shackelford
ゴルフ創世記には、ドライバーは優れた武器として扱われていた。1881年に書かれた著書”Golfer’s Handbook”の中で、ロバート・フォーガンはドライバーを「最も長く、最も繊細に作られ、しかしながら最もパワフル」と形容している。そして現在も、プレーヤーにとっては、パターと並び最も重要なクラブと位置付けられている。そして、ドライバーは昔のクラブメーカーから現代のクラブメーカーにいたるまでが注目しており、微妙な改造と改良を繰り返し行い、ローマ時代のグラディエーターが持つ剣、或いはジェダイのナイトが持つライトセーバーと同類にまで進化させた。もっとも、自尊心の強いジェダイのナイトであれば、ライトセーバー無しでも戦えるだろうが、光を放つエクスカリバー無しでは戦士としての力量も落ちてしまうのは必至だ。それと同じように、プロゴルフの世界でも、ビッグドッグ(ドライバー)無しの勝負はつまらない。
メリオンのような建築学的永続性、そしてサンフランシスコGCのような芸術的追及は見られないかもしれない。しかしオリンピッククラブで開催された最初の2回の全米オープンでは、素晴らしいコースだと称賛された。その理由には、ドライバー技術が求められる要素が含まれていたからだった。
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USGAエグゼクティブディレクターのジョセフ・C・ジュニアが1966年の全米オープン前に発行されたゴルフジャーナルに寄稿した原稿によれば、「パー4とパー5がドッグレッグ、もしくは難しいホールとなってからは、ティの位置が何よりも重要」で、「正確なドライバーショットこそ、バンカーを避ける手段であり、いくつかのティグラウンドでは、林が密集したエリアによるファンネル効果が働くため、自由が利かない。フェアウェイ以外では木のラインがホールの形を決めており、プレーヤー達の戦術に大きな影響を与えている」と明確に示している。
ゴルフワールドでも1966年に発売された号の表紙でアーノルド・パーマーを取り上げ、「その正確無比でパワフルなドライバーによりセカンドラウンドで脅威の66をマーク」というコピーを付けた。しかし、パーマーにとっては不名誉となった最終日の大崩れの最大の原因は、その安定しないドライバーだった。16番パー5でのティショット、パーシモン製の1番ウッドで放ったボールは大きくフックし、その後もパーマーはグリーン脇のバンカーにつかまりボギーすら取れない事態に。その間ビリー・キャスパーが完璧なティショットからバーディを奪い、優勝を果たした。
しかし、このオリンピッククラブでドライバーショットを重視する傾向に変化が見られたのは同コースの直近2試合の全米オープン、1987年と1998年大会だった。フェアウェイは狭くなり、驚くべきことにオリンピックのコースは硬く、そして速く様変わりしていた。例年よりも汗ばむ気候、そして濃霧が避けられない気象条件という中、レイクサイドコースは古土で作られたのだが、USGAもコースの排水性には気づいていなかった。その結果「こんなに速いフェアウェイでプレーしたのは、いつ以来か思い出せない」というコメントが、1987年の初日を67で終えたベン・クレンショーから漏れたのだ。
USGAエグゼクティブディレクターのマイク・デイビスは、1987年当時は携わっていなかったものの、最近オリンピックで開催された全米オープンで、フェアウェイが固いのは、ポアナが使用されるエリアが多いと指摘。更に、傾斜したランディングエリアと大きくなった木々によるボールの転がりが、ドライバーショットの重要性をなくしてしまった。
オリンピックでは、これまで1987年にスコット・シンプソン、そして1998年にリー・ジャンセンのようなショートヒッターが優勝している。シンプソンは、「当時の大会中、ドライバー以外でティショットを打ったのは覚えているだけでも数回だけだった」と話し、エリートプレーヤーのように飛距離と正確性を合わせ持っていたわけではなかったが、全米オープン優勝者のアーウィンのように、ドライバーの正確性を重視したのだという。
「ほとんどのティショットをドライバーで打っていたように思う」と語ったシンプソンは、当時の平均飛距離251.3ヤード(大会期間中93位)。「いかに真っ直ぐドライバーショットを飛ばせるかが重要な要素になっていたと思うね。今は飛距離が重視されなくなっているようだが、今年の全米オープンでは、より多くの選手がドライバーを使うようになってもらいたいものだよ」と話している。