【WORLD】欧州選抜の強さの秘密とは/ライダーカップ
2012年 ライダーカップ
期間:09/28〜09/30 場所:メディナカントリークラブ(イリノイ州)
【WORLD】ライダーカップ史上最も名高いショットは、実際には打たれたものではない
Golf World(2012年9月17日号)
だが、ほとんどの場合、ザ・コンセッションは当然の結果として扱われている。
基本的な事実は、論争の種にはなっていない。ニクラスとジャクリンは、最終日の18番ホールに両チームが引き分けの状態でたどりついた。やや短めにセットアップされたパー5で、二人は3番ウッドで第1打を放った。
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「ティを先に離れたのは私だった」とジャクリンは言う。「ヒースが覆い被さったような小道を歩き始めると、ジャックがそこで待つように声を掛けてきた。私の肩に腕を回すと、“どんな感じだい? 緊張しているか?”と聞いてきた。だから、“もちろん、もうカチカチで、とてつもなく緊張しているよ”とか、そんな感じの返事をしたんだ。そうしたら、“どんな慰めの言葉が返ってきても、自分も同じ思いを抱いていると思ったから、ちょっと聞いてみようと思ったんだ”って言っていたよ」。
ジャクリンとニクラスは友達だった。ジャクリンは、フロリダにあるニクラスの自宅を訪れ、一緒に釣りに出掛けたこともあった。ニクラスはライダーカップには初出場だった。当時、アメリカ代表チームに選ばれるには、5年間PGA会員である必要があった。だが、ニクラスはすでに、史上最高でなくとも、世界最高のゴルファーだと考えられていた。
一方、ジャクリンにとっては2度目のライダーカップ。ロイヤルリザム&セントアンズで開催された「全英オープン」で優勝した2カ月後のことだった。二人はそれぞれのチームのスターで、シングルスの両セットで頼みの綱とされていた。ニクラスが度々ショートパットを外した隙に付け込んだジャクリンは、午前の部を4アンド3で勝利していた。
イギリス代表の主将エリック・ブラウンは、18番フェアウェイでボールの落下地点に歩み寄るジャクリンに声を掛けた。「平然とした風を装うために、ブラブラと歩いていたんだ」と、ジャクリンは言う。「そうしたら、エリックが“何をするべきか分かっているな”と言ってきたから、“するべきことは分かっているよ、エリック”と答えたよ」。
セカンドショットはジャクリンが先にプレーした。霧雨の中で放ったアプローチは、ピンの真上を通り過ぎたが、少し強かった。ボールはグリーンの奥いっぱいの所で止まった。そして、ニクラスは(カップから)約18フィートに寄せた。
英国紳士はしっかりとパットを打ったが、湿ったグリーンの上ではやや弱かった。これを見ていたニクラスはパットを強めに叩いたため、ボールはホールを越えて、4.5から5フィートの位置で止まった。「“おいおい、あんなにオーバーしたのが自分じゃなくてよかった”って思ったよ」と、ジャクリンは振り返る。
ザ・コンセッションについて振り返る時、何か欠けていることがあるとすれば、それはニクラスがどうやって返しのパットを沈めたかだ。ジャクリン曰く「外す可能性が極めて高ったにもかかわらず、わずかに左から右へ切れながらカップに入ったよ」。ニクラスのパットは、1991年にベルンハルト・ランガーがキアワの最終ホールで放ったパットよりも少し短かったが、状況はよく似ていた。
「緊張感が大釜いっぱいにあふれている様子を想像してほしい」と、ゴルフ・ワールド誌でウィルソンは書いている。「一体どこの脚本家がこんな現実離れした結末を書けるっていうんだ?ニクラスはグリーンの上を歩き回り、芝の葉の数を数え始めた。“なんてことだ、彼があのとてつもなく大事な一打を打つ前に、息が詰まって死んでしまう”と、苦悶の中でプレーを見つめる観客の1人がうめいた…
巨大なプレスセンターでは、電話の受話器が外され、アメリカ代表とイギリス代表の運命を決めるパットの行方を伝えるために、ラインは開放されていた。“聞いてくれよ”と、ある記者が言った。“戦争取材をしている方がリラックスしていたよ”」。
「彼は背中いっぱいに母国を背負っていた」と、1969年にジャクリンは話している。「そして、ニクラスは彼がそうであるように、男らしくホールアウトした」。
そして、ニクラスはジャクリンにオーケーを出して、みんなを驚かせた。
「勝つチャンスを得る位置にたどり着くまで、全員が懸命に戦った」と話すビリー・キャスパーは、ジーン・リトラーと共にその前のライダー・カップに出場したアメリカ代表選手だ。「そして今、ジャクリンがパットを外せば、自分たちが優勝するかもしれない。ニクラスがマーカーのコインを取り上げた時、アメリカ代表はみんな心底ガッカリした。もちろん、この思いを乗り越え、スポーツマンシップの好例とは何か実感するまで、かなりの時間を要したよ」。